2022年9月28日
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Ryoko Donald

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第28話 転機:フィットネスとの出会い 2

 それまでの私は育児で毎日てんてこ舞い状態。子供を預けられる人がいない、いつも心に余裕がない、常に慢性的な睡眠不足状態。いつもものすごくストレスがたまっていたし、食生活は不健康そのもの。野菜を食べない、ジャンク好き。ジムに安心して通いだすと、そのジムには初心者クラスがあって、試しに参加してみようという気持ちになった。

 担当のインストラクターはとてもいい先生で、楽しい音楽をかけながらいろいろなエアロビや筋トレを1時間指導してくれた。

 そのクラスに参加し始めて私が感じたのは、毎回クラスの後の爽快感が強烈だったこと。クラスの間中とにかく楽しくて、1時間がものすごく早く感じるということ。それから体がどんどん変化していくこと。とにかく元気、エネルギーがいっぱい溢れ出てきて、毎日が本当に楽しくなっていった。

 フィットネスクラスに行くことで、私は毎日のストレスから解放された。

 今まで日本で生まれ育って、こんなに何かをすることを好きだと思ったことはなかった。毎回エクササイズをして、だんだんもっと重いダンベルを上げれるようになるとか、音楽に乗って体を動かす楽しさ、もっとスクワットが楽にできるようになる…とかの達成感、爽快感。そしてそれが、毎回自分のずっと抱いていた自己嫌悪感から、そのクラスに参加している間だけは完全に開放された。

 しかもクラスに行かない日でもどんどん健康になって、スリムになり、強くなっていく自分の体と心を毎日実感することができた。だんだんずっと嫌いだった自分を認めることができるようになったし、毎日自分に対して小さな自信を積み重ねていくことで、自分を好きになれるようになっていった。

 私にとってフィットネスはただのエクササイズじゃない。ものすごく大事なものへと変わっていった。そう、自分に自信がなくて、自分大嫌いだった自分から“脱出、克服”。幸せな自分になるための方法をこうやって私は見つけ出した。私にとってこれはとても大きな人生の転機となった。

 最初は週に1回だった私のジム通いが、そのうちに2回、3回となり、ある日のこと、私の大好きなインストラクターが私に歩み寄ってきて、“あなたぜひインストラクターになるべきよ”と言ってきた。

 私は、“えっ、私がインストラクターになるべきだと先生は思うんですか?”

 正直びっくりしたけど、でもすごくすごくうれしかった。この先生からのたった一言、それだけで、私の人生がその後180度変わった。

 “あんな素敵なフィットネスインストラクターになりたい、自分が体験したように私のクラスに来るみんなを幸せにしたい”と強く思った。

ドナルド涼子
BCRPA Fitness Presenter, Yoga Teacher
48歳、愛知県出身
 2016年ベストインストラクター賞を受賞。43歳の時に、ボディービルのビキニコンペティションを趣味として始め、優勝、上位入賞する。フィットネスプロフェッショナルへの講習、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導、心と体の健康と幸せの為の講演活動を行っています。

ドナルド涼子
フィットネスプロフェッショナルへの講習活動、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導などで活躍する、ドナルド涼子さん Photo @ Ryoko Donald

 こんな肩書を持つ私ですが、若かった頃は、デブ、ネガティブ、ずっと自分の事が大嫌いだった。このコラムでは、そんな私が、どうやって健康で幸せな今の自分に変身したかのお話です。

 涼子のフィットネスプログラムは、YouTubeもしくはNikkei TVにてご覧いただけます。
 パーソナルトレーニングのお問い合わせは
 Info@ryokodonald.com
 www.ryokodonald.com
 Instagram : ryoko_donald

第27話 転機:フィットネスとの出会い 1

 みんなはジョギングを始めたり、ダイエットにチャレンジして痩せようとしたけど、つらくて途中で断念した経験ってある?

 私は、何回もそんな経験をしたことがある。

 小さい時からデブ、中学校の時の部活はバスケ部だったけど3年間ずっと補欠で、それ以降ずっと運動をすることはなかった私。シェイク、リンゴ、キャベツスープダイエット、怪しいサプリメント、変な骨盤エクササイズ…いろいろ試したけど全部失敗した。

カナダに移民した後の30代の頃の私の体重は53〜58kgを上がったり下がったり、2人の子供の出産、育児を経験して、私の体はどんどん痩せづらくなっていった。一人目の妊娠中、私は85kgほどになっていた。157㎝しかない私はまるでビール樽状態。友達にもよく“立派に育ったね”って言われてたっけ。

 出産後、この産後太りを何とかしたくって、一大決心をしてジムの会員になったんだけど、結局ジムを利用できたのは手に数えるほど…。すぐに幽霊会員の一人になって、毎月ジムの会費は引き落とされ続け、ダダさんに嫌味を言われるように。

 やる気はあったんだけど、とにかくジムで運動をすることが楽しくないし、忙しい育児の合間に通うことが、あの時の私には難しいことに思えた。

 1年半以上無駄に会費を払い続けたけど、とうとう嫌気がさして、“もうキャンセルしようと”意気込んでジムに行った。でも無知な私に言われた言葉は“お客さん、キャンセルできませんよ。ここに3年間の契約でちゃんと同意のサインされているのをお忘れですか?”だって。

 英語がよくできなかったあの頃の私は、何となくでサインしてしまっていた。というわけで、これからも幽霊会員としてこのジムの使用料を毎月払うのかと思うと腹が立った。

 でもかといって明日からジムに行くのかと言ったら、そうはいかない。そんな私が、33歳の時に筋トレ女子になる転機がやってくる。2人目を出産した後、日本人のママ友達の中にフィットネスインストラクターの人がいた。彼女をいつも見ていると、スリムで元気、生き生きしている。

 そのうちに私の中に、彼女みたいに健康的な女性になりたいという願望が強くなっていった。そして、2人目を出産した後で、まだお腹回りがぶよぶよしていたある日のこと、カウチに座った瞬間、私のパンツのジッパーが“ビリっと”音を立てて破けた。

 この瞬間、私は“やばい、なんとしても痩せなきゃ”と強く思った。私がジムの利用料を無駄にしていた理由は、実はもう一つあった。それは、その頃長女のなよみが人見知りがひどくて、ジムのデイケアに預けることができなかった。

 仕事が忙しいダダさんの帰りを待って、夜にジムに行くエネルギーが1日中一人で子育てをして疲れ果てている私にはなかった。でもその頃、都合のいいことに、私が幽霊会員であるジムで友人の彼女がクラスを教えていた。

 彼女の子供となよみが仲良くしていたことが手伝って、なよみは喜んでジムのデイケアに通うことができた。これは本当に助かった。

 ということで、ダダさんが帰ってくるのを待つ必要がなくなり、私が体力のある朝のうちにジムに通える状況になった。これは、私にとってかなりのブレイクスルーになった。

ドナルド涼子
BCRPA Fitness Presenter, Yoga Teacher
48歳、愛知県出身
 2016年ベストインストラクター賞を受賞。43歳の時に、ボディービルのビキニコンペティションを趣味として始め、優勝、上位入賞する。フィットネスプロフェッショナルへの講習、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導、心と体の健康と幸せの為の講演活動を行っています。

ドナルド涼子
フィットネスプロフェッショナルへの講習活動、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導などで活躍する、ドナルド涼子さん Photo @ Ryoko Donald

 こんな肩書を持つ私ですが、若かった頃は、デブ、ネガティブ、ずっと自分の事が大嫌いだった。このコラムでは、そんな私が、どうやって健康で幸せな今の自分に変身したかのお話です。

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第26話 2度目の帝王切開

 月に一回の検診の際に、お医者さんが次回は普通分娩希望かと私に聞いてきた。私は即座に帝王切開でお願いしたいと言った。なぜかというと、前回の3日間という長い出産を経験し、自分の体は出産に向いていないと悟ったこと、そしてあまりにも苦しい死ぬような痛みを経験したのに、子宮口が3センチしか開かなったから、正直お産が怖かったこともある。それを聞いた先生は「そうですね、前回のことがありますからその方が安全でしょう」と。

 ということで、予定日の5月中旬に帝王切開をすることになった。

 妊娠、出産すべてにおいて今回は2回目ということもあり、余裕たっぷりだった私。すべてが幸せで楽しむことができたし、もうどんなことがあってもパニクることもなかった。前回とは違って、今回は私には何人ものママ友もいたし、あれだけやんちゃだったダダさんだっていろいろ手伝ってくれていた。怖いものなし、しかも予定した帝王切開だったから落ち着いた心でその日を迎える準備をした。そして前回、私の母が助っ人で来てくれた時の苦い経験を活かし、今回はあえて母ではなく、ワーホリの日本人のお手伝いのお姉さんを予定日の3カ月前から住み込みで確保しておいた。このお姉さん、英語が堪能、料理、掃除上手、そしてなよみともよく遊んでくれた優れもの。

 さて、その日はまたしても突然やって来た。またもや前回と同様、しかも予定日よりも1カ月も早く破水が始まった。でも今回の私は全く動揺なし。陣痛がまだ来ていないから余裕で、ゆっくり入院の準備、シャワーを浴び、なよみの準備をして、2日以内には2児の母になる覚悟を決めた。そして急がずドクターのところへ電話し、翌日に帝王切開をすることになった。

 なよみの時とは違い、今回はダダさんも心に余裕があった。というわけで手術室での写真もしっかり撮れた。その中で一番面白かったのが、私のお腹から出てきて、看護師さんが体を拭いたりするベットの上で、なんと私の赤ちゃんは、おしっこをピューッとしてしまったことだ。しかもそのシーンをダダさんがばっちり写真におさめることができた。すごい。

 彼に初めて対面した時の私の印象は、“かわいい”の一言。なよみのようにとんがり頭ではなかったし、髪の毛が全然ないくりくりハゲ頭。ものすごく色が白くて、お目目がグレー。疲労困憊していた前回の私とは違い、今回私はとにかくすべてをしっかりエンジョイ、とてもいいお産ができたと思う。健康で生まれてきてくれてありがたいと神様に感謝する余裕さえあった。というわけで、2965gで私たちのところに生まれてきてくれた彼をネーサン・ドナルドと名付けた。

ヨガ、フィットネス士道などで活躍するドナルド涼子さん。二人目も帝王出産で元気な男の子が生まれた。
ヨガ、フィットネス士道などで活躍するドナルド涼子さん。二人目も帝王出産で元気な男の子が生まれた。Photo ©Ryoko Donald

 さて、ネーサン君は赤ちゃんの頃はとても静かで、よく眠る子。なよみとは正反対。どこに出かける時でも、ストローラーの中でいつも眠っていた彼。でもそんな静かで私にいつも楽をさせてくれるネーサン君は、1歳過ぎに歩き始めると途端に私を思いっきり困らせる元気な男の子に成長した。

 ネーサン君は車が大好きで、“じいじ”や“ばあば”からいっぱいトミカを日本から送ってもらって毎日遊んだ。彼を育てていて一番大変だったのは、とにかく動きが速い。一瞬目をそらしたすきに、気づくとずっと遠くまで走って行ってしまい、私はいつもダッシュで常に彼を追いかけている状態。しかも癇癪もなよみとは比べようにならないくらい激しい、鳴き声もものすごく大きい。

 でも機嫌のいいときはスイートで甘えんぼ、お母さんっ子でものすごくかわいい子。そして16歳になった今でも、ネーサン君は優しくて、お手伝いもよくできるスイートボーイ。あの頃の私にとって、男の子と女の子は全然違うんだなということがすごく新鮮に思えたし、でもなおさら育児が楽しかったかな。

 なよみが小学校に上がる頃には彼女は几帳面、真面目、そしてやさしい女の子に成長し、学校でも先生からいつも褒められる優等生。そして19歳になる今でもそれは同じ。彼女の学校での成績や勉強について、今まで一切私は悩んだことがない。すべて自分でしっかりやるタイプの子のようだ。上の子がそんな楽な子だったから、私はネーサン君もきっとそうなのかなと勝手に思っていた。でも、人生とはやはり平等にできているようで、上の子でめちゃくちゃ楽をした私は2人目で普通以上に、いろいろ困らされることになる。

ドナルド涼子
BCRPA Fitness Presenter, Yoga Teacher
48歳、愛知県出身
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フィットネスプロフェッショナルへの講習活動、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導などで活躍する、ドナルド涼子さん Photo @ Ryoko Donald

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第25話 第二子の妊娠

2019年7月25日 第30号

 人生のいろいろなレッスンを経験し、私はもっと大人になっていく。とうとう待ちに待った第二子の妊娠を前回の流産からそんなに時間もたたないうちに知った私は、前回の経験を踏まえて、無理をしないように気を付けて毎日を過ごすようにした。二人目の妊娠は、一人目の時とはずいぶん状況がちがう。なよみはその頃2歳過ぎ。オムツが取れるか取れないかの頃、トイレットトレーニングの日々、しかもまだまだ甘えん坊、いたずら盛りな頃、おんぶにだっこも日常的だ。公園に遊びに連れていったり、アイス君の散歩もあるし、毎日超多忙な日々を過ごしていた。

 早期流産を経験して、すごくつらい思いをした私だったにも関わらず、相変わらず、“たばこ”だけはやめられない私がいた。少しやめては、我慢できずに、また吸い始めるの繰り返し。そのたびに、自分のだらしなさ、弱さ、母親としての自覚不足…いいお母さんになりたい願望とは反して、自分は本当にダメな母だと思ったし、自分のことがさらに嫌いになっていった。

 今回の妊娠で前回とは違ったのは、私にはとても変なつわりがあったことだ。なよみの妊娠中は、ベーグルのどか食い、アイスクリームをしこたま食べた。今回は、野菜が一切食べれなくなり、とにかく肉ばかり食べた、変なつわりだよね。そんなある日、お腹の張りを感じ、少量の出血があった。急いでドクターの所に行った私。

 ここで少し、カナダの医療システムを説明しないといけない。カナダでは、緊急な病気とかケガの場合はもちろん救急車で即病院に行くんだけど、マイナーなことの場合は、まずホームドクターのオフィスに行く。このオフィス、オフィスというくらいだから、超音波の機器とかはない、カナダでの妊娠中の通常の検診とは心音を聞き、問診、体重測定することくらい。この時の私のケースは、先生に流産している可能性があるから、超音波に行ってくださいと紹介状を出された。すぐにオフィスから車で10分ほどの所の超音波の専門のセンターに私は自分で運転して向かった。私は、前回の悲しい流産の経験を思い出し、涙がぽろぽろ、前がよく見えなくて、運転するのがやばいくらい。あまりにも動揺して、心臓がどきどきしているのが聞こえるくらい、あまりにも動揺しているから、駐車するときに道路の端に乗り上げてしまうくらい。何とか無事に超音波のセンターに到着し、先生からの連絡がすでに入っていたようで、すぐに診てもらった。結果は、赤ちゃんは無事であるということ、きっとなよみの世話や家事で、少し動きすぎていたのではということ。あの時は本当に安心した。仕事中のダダさんにそのことを知らせ、安心してまた自分で運転して家に帰った。

 さて、2人目の妊娠ということに、まだ2歳のなよみはお構いなし、走ってどこかに行っちゃったり、だっこして公園から帰らなければいけなかったり、アイス君のもちろん散歩も毎日2回。妊娠中期になるころには私の状況も安定し、前回のごとく、案の定ものすごく太ってしまい、またしても“ビール樽”妊婦復活。そんな私は、二人目は絶対男の子が欲しかったから、毎日神様にお祈りして、男の子が私のところにどうか来るようにと私の強〜い念を送った。それが効いたのか、私のお腹の中の赤ちゃんは念願の男の子だった。私は一男一女の母になれる、こんなに幸せなことはないなと思った。

ドナルド涼子
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第24話 流産

2019年7月11日 第28号

 2002年、あの頃の私は、ダダさんの仕事の簡単な経理の手伝い、育児、家事、育犬、家庭菜園の世話などをして過ごす毎日。そして英語を日本人の生徒に教えたり、空いている部屋を日本人留学生に貸したりして、生活も落ち着いていた私に、次なる願望がわいた。

 なよみが3歳になる頃までには、二人目が欲しくなった。このころのダダさんはと言うと、以前の若くて遊びたい盛りのダダさんとは別人のようになり、仕事に一生懸命、もちろん遊ぶけど以前とは全く違って、落ち着いてきた。そして二人目が欲しいという私に対し、今回は初めてダダさんは 「うん、自分も2人目を迎え入れる心の準備ができている」と言ってくれた。私は、幸せの絶頂にいたかな。普段の彼の行動を見ていれば、そのことは私はもう知っていたのだけど、やはり言葉で言ってもらうと、私のこれまでの苦労と我慢が一気に報われた瞬間だった。あれだけやんちゃだったダダさんが、結婚して4年も経つと、すっかり素敵な旦那さんに。私は結婚した時に、自分に約束していた“5年はどんなことがあっても我慢する”が思ったほど早く、いい方向に向かっていることに気づいた。

 私は幸せ者だと思ったし、私のダダさんに対する考えは間違いなかったとさらに確信した、で、ここまで何とか乗り切ってきたのだから、この後は、どんどん楽になるはずだと思った。そんなこんなしているうちに、私は幸いにもすぐに第二子を授かった。めちゃくちゃ嬉しかったし、きっと男の子だと私は思って毎日いろいろイメージしたり、名前を考えたりして過ごした。なよみの時とは違い、今度は、もっと私には心に余裕があって、幸せな夢がどんどん大きく膨らんでいった。でも、その後すぐにこの妊娠はとても悲しい終わり方をすることになった。

 妊娠11週目を過ぎたある日のこと、急に出血が始まり一向に止まらず、急いで病院に行ったんだけど、先生に「流産をしていますから、もう何もできません」と言われた。後からいろいろな人に聞いて分かったんだけど、こういった早期の流産はとてもよく起こることだということ、そんなことは私は全く知らなかった。たったの11週間だったとはいえ、私の中では、もうすでに私のかわいい赤ちゃんという認識がしっかりできていたし、将来のプランも立てていた。ものすごくショックで家に帰ると部屋にこもってずっと泣きどおし。

 そんな時、ダダさんはあまりにも落ち込んでいる私に対してどうしていいのか分からず、友達と仕事帰りにビールを庭で飲む始末。ダダさんにとっては妊娠が分かってすぐだったから、実感がない。きっと私がこの世の終わりかのような勢いで悲しんでいて、どうしていいのか分からなかったのかな。彼はきっと状況を客観的に見て、早期の子宮癒着ができなくてよくある流産だということを理解していた。だから感情的になる必要はないと。今となってはそれは私には理解できるけど、あの時の私は、この世の最悪の悲劇が起こって、部屋に閉じこもり泣きじゃくる。外から聞こえてくるダダさんと友人の笑い声を聞きながら、「この人と結婚したのは間違い?」またしてもこんなことを考えざるをえない自分がいた。ダダさんが私と同じ価値観を持っていないことに対して、ものすごく腹が立ったし、しばらく私たちの関係もギクシャクした。

 でも、何日かしたある日のこと、ダダさんのお父さんの一言で、私の考え方が変わった。お父さんは「エルトン(ダダさん)はつらいことがあると全く他のことをして、それを考えないようにするタイプの人。だからといって彼が流産、私に対して関心がないわけではない。人にはそれぞれの問題から逃避するやり方があるんだよ」と言った。それを聞いて、確かにそうだと思った。私は泣いて思いっきり自分の悲しみに浸り、それに疲れたらそこから出てくるタイプ、ダダさんは違うタイプということに気づいた。それまでの私の心のもやもやが、すっとどこかへ行ってしまった瞬間。結婚というのはやはり、二人の違いを理解する努力の積み重ねなんだよね。

ドナルド涼子
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48歳、愛知県出身
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 こんな肩書を持つ私ですが、若かった頃は、デブ、ネガティブ、ずっと自分の事が大嫌いだった。このコラムでは、そんな私が、どうやって健康で幸せな今の自分に変身したかのお話です。

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第22話 マリファナ問題

2019年6月27日 第26号

 破水から始まり、3日間苦しんだ末の緊急帝王切開。何とか家族のサポートで乗り越えた私。2週間後に、待ちに待った私の母がカナダに助っ人で来てくれた。その頃、私とダダさんはイーストバンクーバーのネズミだらけのボロ屋を友人とシェア、ベースメントには別の人が住んでいた。このシェアメイト、人がらも穏やか、家賃もいつもきちんと払うんだけど、一つ問題が。毎日ガンガン、マリファナを吸う。日本と違って、カナダの住宅はセントラルヒーティングを使っている、ということは、家中を空気が回るように空気口がそこら中にあるんだけど、このマリファナのにおいが通気口から家中に回ってしまう。このマリファナの強烈なにおいが私は嫌い。以前から私は文句を言っていた。

 ところで、当時カナダでは、マリファナを吸うことは当然違法行為。でも、この話を書いているたった今2018年10月、タイムリーなことに、カナダではマリファナがとうとう合法になった、私的にはどうもこの法律は納得できないんだけどね。

 さて、当時、ヒッピーでちょっとアウトローなシェアメイトたちと家を借りていた私たち、私以外、誰もマリファナのにおいが気にならないようで…私の意見は無視された。新生児を迎え入れたばかりの私の神経はピリピリ状態、しかも母が日本からやってくるということで、私は困り果てた。しかも、帝王切開の傷、母乳が全然うまくいかず、毎日睡眠不足で、しかもマタニティーブルーにもなっていた私。ダダさんの行動、言動すべてに腹が立つ。今まで、20年ダダさんと一緒にいて、離婚について考えることは数回しかなかったけど、あの時は、マジで結婚したことを後悔した。病院から家に帰ってきて、毎日一人で育児をしていた最初の頃の私は、超神経過敏、彼女が寝ている時も、何回も息をしているか確認したり。だって、目を離したすきに、死んじゃうんではないかという強迫観念に私は迫られていたから。かなり、やばい新米ママだったと思う。助けを頼む人がいなくて、どんどんドツボにはまっていった私。そんな最悪の時に、日本から母はやってきてくれた。あの時、やっと少し楽になると私は思った。

 母が日本から駆けつけて来てくれて、とてもうれしかったし、少し楽になるとも思った。でも、実際の状況は、母は洗濯機の使い方から、キッチンの使い方、買い物、ダダさんとのコミュニケーション…すべて私なしではできない状態。母は英語ができない。結局痛いお腹をかばいながら、すべてを母と一緒にやる状態で、私は休むことができなかった。おまけに、ダダさんは私の母が来ているというのに、いつもどおりに友たちを呼んでお酒を飲んだり、私の為に頑張っている母に気遣いができなくて、しまいには、私と母が日本語で話したり出かけると、やきもちを焼く始末。私もあの時は精神状態が悪かったから、ダダさんの文句を母にぼやいてしまうし、母への不満もダダさんにぶつけてしまう。しかも毎日マリファナのにおいが家中を充満している状態で、母だって慣れないカナダでの生活で、とまどっていたに違いない。娘が産後苦労しているのを毎日目の当たりにし、母とダダさんの関係がどんどん悪くなっていく。私は、あまりにも自分に余裕がなかったから、何もできなかった。そんな状態は母が滞在してくれた1か月中ずっと続き、結局帰国の頃には、もう母とダダさんは一言も会話をお互いにしない険悪な状態。すべては自分のせいだ。

 この時、私は結婚生活、親子関係をうまくいかせるルールがあることに初めて気付いた。母にダダさんの文句は言ってはダメ、ダダさんには母への不満は言ってはダメ。結婚というものは私たち2人の問題だし、しかも私は年下のダダさんと文化、価値観、言語の違いを承知で結婚した。いろいろあったけど、母にはいろいろお世話になって、今でもすごく感謝している。お母さんあの時は、本当にありがとう。

ドナルド涼子
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第21話 緊急帝王切開

2019年6月13日 第24号

 普通は、促進剤を使えば、大概は子宮口は開くもんなんです、でも私の場合は3cmしか開かなかった。とうとう破水後3日目、これ以上待つと赤ちゃんに負担がかかりすぎるからということで、緊急で帝王切開をすることになった。もうこの時点では、自然分娩とか、もうどうでもいい私。とにかく早く赤ちゃんに会いたいと思った。

 というわけで、2001年4月30日の午前4時に無事に私たちの第一子、なよみ・カーストン・ドナルドが生まれた。予定日よりも3週間も早く生まれたくせに、3270gも体重があった。彼女と最初に会ったのは、手術室。局部麻酔だったから私は手術中ずっとしっかり意識があったし、先生たちが、なよみを引っ張りだしている変な感覚もしっかりわかっていた。ダダさんは私の枕元でずっと一緒にいてくれた。後で聞いたんだけど、私の腸を先生がお腹から出しているのを見てしまったと言っていた。私が、どんなだった?と聞いたら「どす黒くて気持ち悪かった」だって。ダダさんも3日間私につきっきりで大変だった。さて、私のお腹から出てきたなよみ、最初に初めて彼女を見た瞬間私は、ビックリ。だって彼女の頭が、どんぐりみたいにとがっていたから。陣痛促進をして、でも子宮口が開かなかったから、ずっと頭を押されていたからだと先生が説明してくれた。私は内心、“へっ、ちょっとブスかわいい”と思ってしまった。ダダさんはというと、“She is so gorgeous”と彼女の美しさを絶賛。やはり西洋の人だなとそれを聞いて思った。私はなぜか、こっ恥ずかしくて、“かわいい” とか言えない自分がいた。

 さて、3日間にも及ぶ長い出産を経験し、結局帝王切開になった私。はっきり言って出産後1日目の記憶が全くない。あまりにも疲れ果て、すべてが劇的過ぎて、写真も全然撮ってない。これはいまだに残念。しかも、麻酔の副作用のせいで私はひどい便秘になった。でも傷が痛くていきめない、疲労困憊、神経過敏で、私は便秘ごときで感情が高ぶってしまって、“ウンチが出なーい”と大泣きして看護師さんに愚痴ってしまった。今思い出すと、ちょっとヤバかったと自分でも思う、恥ずかしい。しかも、帝王切開2日目から、次から次にさっそくダダさんの友人、家族がなよみを見に病院に押し掛けてきた。私は、極限状態にいたし、きっとマタニティーブルーも手伝っていたと思うけど、みんなにガンガン押しかけて来られて、一層神経ピリピリ状態になった。

 お医者さんは、おなかが痛くて自分でベットから起き上がれない私に、術後すぐに歩けと言い、なよみのお世話も自分で全部した。特に大変だったのは、母乳。私は、自分は絶対母乳で育てたいと思ってたけど、実際やってみると、すごく難しい。

 さて、苦しみの連続の術後3日目には、抜糸で、順調に回復?!してるからと言って(退院)追い出された。私の本音は、もちろん退院したくなかった、だっておっぱいのあげ方も全然わかんない、傷もめちゃくちゃ痛くて思うように体が動けない状態だよ。母が日本から来る時までの2週間をダダさんのお母さんの所で過ごす予定になっていた。ダダさんは仕事に行かなければいけないし、頼れない。でも、幸いにも家事、食事はダダさんのお母さんに任せて、私は慣れない育児に専念することができた。でも、またまた日本人の看護師さんですが、ご丁寧に訪問での母乳マッサージサービスまでしてくれて、私はすごくラッキーだった。カナダでの帝王切開、初めての子育て、あの時は本当にいろいろな人に助けてもらった、今でも感謝感謝。

 ちなみに、このマタニティーグループ“マム”現在も活動されているみたいです。確か、イガラシさんだったと思うんですが、何しろ18年前の事で、記憶が定かでない。

 あの時は、本当にいろいろありがとうございました。

ドナルド涼子
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こんな肩書を持つ私ですが、若かった頃は、デブ、ネガティブ、ずっと自分の事が大嫌いだった。このコラムでは、そんな私が、どうやって健康で幸せな今の自分に変身したかのお話です。
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第20話 破水しながらのベイビーシャワー

2019年6月6日 第23号

 カナダの家族に見守られ、サポートされての出産、今まで生まれてきて一度も体験したことのない“家族付き合い、家族愛”を学んだ。それは、核家族で育った私にとって、とても新鮮だった。

 予定日は5月中旬、ベイビーシャワーは、その1か月前なら問題ないだろうとお母さんは考えてくれていた。でも、その日は突然やって来た。ベイビーシャワーの前日の朝方、寝ていると急にパシャっと音がして、おしっこを漏らしたみたいにパンツがぬれていた。私はマタニティー雑誌で勉強していたから、これがすぐに破水なのが分かった。私は、びっくりして、ダダさんを起こし、すぐにドクターに電話した。すると陣痛の有無をまず聞かれ、全く陣痛がなかった私に、急がなくてもいいから、朝になったら病院に行って、抗生物質をうって、様子を見ようといわれた。私は、怖くてたまらなかった。朝になると私はすぐに病院へ、抗生物質を打たれたんだけど、陣痛が全くないから家に帰るように言われた。それで、お母さんに破水をしたから、今日のベイビーシャワーは行きたくないと伝えたんだけど、彼女は『じゃあベイビーシャワーできるわね!』とびっくりする答え。私は内心、こんな状況でパーティーなんて楽しめないと思った。でもそんな私の事を見ていたお母さんは、『心配なのはわかるけど、まだ出産の時期じゃない、どうせ陣痛が来るのを待たなければいけないのだから、一人で家でいるより、私たちと一緒にいた方がよっぽど心強いでしょ』と言ってくれた。それを聞いて、私はそれもそうだなと思った。というわけで、予想もしなかった私の出産のスタートはこんな感じで始まった。

 パーティーでは、沢山の家族とその友人たちに囲まれ、破水についてみんなでびっくりしたり、笑ったりと楽しい時間を過ごした。本当にお母さんの言ったことは間違いなかった、こうやって陣痛を待った方が全然良かった。そしてこのパーティーがあったからこそ、赤ちゃんの為の全ての物もその日にそろった。

 3週間も予定より早かったが、母になる覚悟をこの日に決めた私、事前にマタニティーグループの看護師さんに、お産の補助のサービスを頼んでいたし、日本の母には産後の手伝いを頼んでいたから、早速連絡を入れた。そして、ベイビーシャワーのその夜、陣痛が強くなった。病院にすぐに行ったけど、子宮口が全然開いてなくて、また家に帰らされる。でもその日の明け方には、陣痛がさらにきつくなってきて、また病院に行った。病院につくと、破水から2日目という事で、とうとう陣痛促進剤の投与になった。自然分娩をずっと希望していた私だったんだけど、この陣痛促進剤を打たれた後は、強烈な痛みが次から次に押しかけてきて、とにかく痛い。この頃には日本人の看護師さんが病院に来てくれて、マッサージを始めてくれた。ちなみにカナダでは、こんなきめの細かい日本の看護師さんのマッサージなどの素晴らしいサービスなど全くない。

 私は、死ぬかと思うくらいの痛みがどんどんくる中、だんだんもう英語が頭の中に入ってこなくなった。もう何を言われても、訳が分からない状態で、ダダさんもそばにはいてくれたけど、触られるとめちゃめちゃイラつくし、私は、はっきり言って極限状態。日本語での看護師さんの励ましと圧力をかけた腰へのマッサージが唯一の助けだった。

 破水から2日目、陣痛促進剤もガンガン入り、私はひたすら痛みに耐え続けたんだけど、子宮口はいつまでたっても3㎝。我慢の限界にきていた私は、エピドロという麻酔をしてもらうことにした。しかもこの麻酔技師ったら、何回も失敗して、針をプスプス私の背中に打ちやがる!疲労と痛みのせいで神経ピリピリだった私は、切れる寸前。めちゃめちゃ痛いのをひたすら我慢した。丸々1日、陣痛に苦しんだ私の体力は限界状態、だから麻酔をしてもらった後は私は爆睡したらしい。

ドナルド涼子
BCRPA Fitness Presenter,Yoga Teacher.
48歳、愛知県出身、
2016年ベストインストラクター賞を受賞。43歳の時に、ボディービルのビキニコンペティションを趣味として始め、優勝、上位入賞する。フィットネスプロフェッショナルへの講習、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導、心と体の健康と幸せの為の講演活動を行っています。
こんな肩書を持つ私ですが、若かった頃は、デブ、ネガティブ、ずっと自分の事が大嫌いだった。このコラムでは、そんな私が、どうやって健康で幸せな今の自分に変身したかのお話です。
涼子のフィットネスプログラムは、YouTubeもしくはNikkei TVにてご覧いただけます。
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第18話 妊娠

2019年5月23日 第21号

 前回は、ひどいホームシックにかかった私がペットに助けられた話でした。今思うと、ハスキー犬のアイス君は、本当の意味での私の第一子だったかな。核家族で過ごした私、親戚ともかかわったことがほとんどなかったし、小さい子の面倒を見た経験がなかった。末っ子でいつもわがままだった私が、人のために我慢をすることはこれまでなかった。アイス君のお世話をはじめて、犬を赤ちゃんから育てることは、人間の赤ちゃんを育てるのと同じくらい大変なことに気づいた。生後2カ月のアイス君は食べない子で痩せていた。やってきた当時、ひどい下痢、どれだけ夜に何回も外にトイレに連れ出そうが、毎朝起きるとおしっことうんちがリビングに散乱している状態。それを掃除するところから、私の朝はスタートする。とにかくハイパー、一日中グルグル走り回る。ハスキーのエネルギーってホントすごいね。散歩は日に2回以上、リーシュを外すなんてしたら、一目散にどこかへ走り去って捕まえるのに一苦労。でもアイス君も1歳を過ぎるころには落ち着き、おりこうさんなワンコになった。

 ワンコママになって、毎日バタバタ過ごしていた私。結婚した当時から、ダダさんには、子供は絶対に30歳で産みたいと言っていた。ダダさんはというと、両親が共働きで、長男ということで、兄弟の面倒をいっぱい見た経験があるから、子供は当分ほしくないと言っていた。私よりも4歳も若い彼だから、私にはそれは十分理解できた。でも私的には、やっぱり若いうちに子供を産んでおきたいという、強い希望があった。ダダさんは、いつも私のことを大事に考えてくれる人だから、「涼子がそうしたいならいいよ」と言ってくれた。そして、何カ月かが経ったある日、当時私は29歳、ダダさんは25歳、私は第一子を妊娠した。最初に妊娠が分かった時、すごくうれしかった、で、どうやってダダさんに伝えようか迷った。そんな私が考え付いたアイディアは…ダダさんが仕事から帰って来た時に、アイス君の首輪にお手紙をくくり付けておいて、それに気が付いたダダさんがそのお手紙を読む、『もうすぐ僕はお兄ちゃんになります』って感じ。さて、実際にこのお手紙を読んだダダさんの反応は…「あー良かったね」だけ。サラーッとシンプルなコメントのみ。彼は正直な人、 きっと彼には父親になる願望は全くなかったし、子供を産むことに同意したのは、すべて私を幸せにするため。私は、ずっと分かってはいたけど、実はひそかに『抱き合って二人で感動的に妊娠を喜ぶシーン』を勝手に頭の中に描いていたものだから、正直がっかりした。とはいっても、念願の第一子、私の心は、しあわせな気持ちでいっぱいになった。ただその時の私には、その後の苦労なんて、全然想像することはできてなかった。 ♢

ドナルド涼子
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第17話 ホームシック

2019年5月9日 第19号

 結婚後、すぐに移民申請をした。でも、それがいつおりるのか、受理されるのか全然先が見えない状態。私の家族は遠い日本。そんな不安な気持ちを話し合える友人もいない。しかもダダさんとの英語でのコミュニケーションがまだちゃんとできない状態の中、私はどんどんホームシックにかかっていった。何をするにも涙が出る、ダダさんの実家に行けば楽しそうな家族を見ているだけで、ものすごく腹が立って悲しくなる。ダダさんと喧嘩をすれば、行き場に困り、泣きながら真夜中にはだしで飛び出す。ダダさんの友人が遊びに来ると部屋に隠れて、みんなに自分の悪口を言われているような被害妄想を抱く。時々自分は、頭がおかしくなったんじゃないかと思う時もあったり、苦しくて、自分を傷つけたい激しい衝動にかられたり…。きっとあの頃私はちょっとノイローゼ気味だったんだと思う。5年間どんなに苦しくても、我慢すると決めていた私だったけど、現実問題はすごくきびしかった。すべては自分で決めたことだからしょうがないんだけど、でもやっぱりあの頃は本当につらかった。相談できる人がいないのと、文化と考え方の違い、ずっと続く貧乏生活で、自分でも自分の決断が本当に間違いなかったかの自信がもてなくなっていった。弱音を吐いたら「ほら見ろ、お前の決断は間違いだった」って人に言われるのも絶対に嫌だった。

 そんな暗い所をさまよっていた私のところに、小さな天使がやってきた。私は日本ではずっと文鳥、リス、カブト虫、ひよこ、ハムスター、ウズラ、そして犬や猫を実家で飼っていた大の動物好き。ひどいホームシックに襲われて、頭がおかしくなっちゃうんじゃないかと自分でも心配になった私は、ペットを飼うことに決めた。ラブバード。名前をあくび君と決めた。なんでかというと、とってもかわいいあくびをするからという単純な理由。あー君のおかげで、私は笑顔を取り戻した。あの時は本当に、あーくんに助けられたと思う。小鳥マニアの方は知ってると思うけど、小鳥ちゃんってストーカー並みの人懐っこさでどこでもついてくる。頭もすごくいいし、すごくかわいいんだよね。でもある時、私たちが旅行で出かけた時に、人に預けた際に間違って外に逃げてしまって、あー君が行方不明に。たかが、小さな鳥、でも私にとってはかけがえのない子供のような存在。私はベッドルームに籠り、3日間ぶっ通しで泣いた。そんな私を見ていたダダさんは、もう見ていられなかったらしい。3日目の夜、小さなハスキー犬を私の目の前に置いた。私はベッドに横たわっていて、犬は部屋に入ってきた。“ちょっと怒ってるんですか?”というような顔のハスキー犬の赤ちゃんを見た瞬間、“何これ、いやだー、くさーい”と思った。あー君じゃなきゃ嫌だ。でも次の瞬間、その子はこんなにかわいいものがこの世に存在するの?というくらいの、くりくりお目目で私を必死に見つめてきて、私に乗っかってきた。もう私にはこの臭い子を返してこいなんて言えなかった。というわけで、一撃でしかも無理やり私はこのワンちゃんのかわいさにメロメロになった。この日から、生後2カ月のハスキー犬の“アイス君”が私たちの家族の一員になった。ちなみに、なんでアイス君かというと、彼のお目目がアイスブルーだったから。悲しみのど真ん中にいた私は、今度はアイス君に救われた。

 後日談で、ダダさんに「どうしてアイス君に決めたの?」と聞くと、最初はもちろんラブバードを買いに行ったんだけど、その時ラブバードは売ってなかった。それで以前、私が柴犬が好きと言っているのを覚えていたから、その時に売られていたハスキー犬を見て、ちょっと柴犬みたいだからという理由だけで即買いしたらしい。しかも、「いくらだったの?」と聞くと、ちょっと困った顔をして、1200ドル。当時の私たちにとっては、それはものすごい大金。「どうやって払ったの?」と聞くと、友達に頭金を借りて、とにかくアイス君を連れて帰りたかったから後は分割払いだって。私はびっくりしたのと同時に、でも私のことをダダさんは何とか励ましたかったのかと思うと正直感謝する気持ちにもなった。私がへこむとダダさんへこむ、そう、私とダダさん以心伝心、一心同体なんだよね。

ドナルド涼子
BCRPA Fitness Presenter,Yoga Teacher.
48歳、愛知県出身、
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第15話 ダダさん初めて日本へ

2019年4月11日 第15号

 前回は20年以上も前の私たちのプロポーズの話で、当時の私は今時流行りの肉食女子をかなり先取りしていたというお話でしたが、ちなみに私たち夫婦は今年3月で結婚20周年目。いまだにめちゃくちゃラブラブです。

 さて今回は、私の結婚話の続き!前回も話しましたが、観光ビザが切れて、帰国しなくてはいけなかった私は、両親にダダさんとの結婚の話をするのに、指輪なしなのはちょっと、ということで、さっそく指輪をオークリッジモールに買いにいった。でもその頃のダダさんは超貧乏だったので、当然婚約指輪はなし。小さなダイヤモンドのついた安いリングをビザカードで買った、というか買わせた…。でも私にとってこの指輪は大切な愛の証。そしてビザも切れ、私は帰国…。確かあれは1998年の冬のことだったと思う。その後2〜3カ月ほどダダさんはエビの行商を、雪の深いエドモントンとかバンフまで行って現金を速攻で大量に稼いで、その後すぐに私を追いかけて日本に来てくれた。実は母と姉は、以前カナダに遊びに来たことが1度あって、既にダダさんには会っていた。でもその時の母のダダさんの第一印象は、とてもひどくって 「お母さんは、太っていて、身なりもきちんとしてないあの人嫌い」…だって。

 この話をもっと進める前に、以前、日本人の彼(5年も付き合ってた)と別れた時に、父に反対されたエピソードをちょっと話しておく。父は「なぜあんなに優しくて礼儀正しい好青年な彼と別れるなんて、許さない」と言った。私は、「彼では私を絶対に幸せにできないから、勘弁してほしい」と。でも全然許してくれない父、私はとうとう土下座して、「お願いだから、彼と結婚しろとはもう言わないでほしい。自分の人生は自分で選んで生きていく」と。父はそれでも納得がいかない様子。「じゃあそんなに私のことをコントロールしたいなら、お父さんが私と結婚すればいいじゃん!」と捨て台詞を吐いた。すると、さすがの父ももう何も言わなくなった。後日父は、「涼子が死ぬくらいの勢いで言ってきたから、あきらめるしかなかった」と言っていた。自分が親になってみてこの時のことを思い出すと、客観的に自分がかわいそうだと思う。私の結婚に対する親からのプレッシャーは、かなり激しかった。「結婚するって言ったのに、嘘つき、浮気女」みたいなことも言われた。でも、やっぱり自分の考えをあの時通していて本当に良かった。だって、自分の人生はやっぱり誰のためでもなく自分のものだから。そういうことで、ダダさんのことを父にはずっと言えずにいた私。でもダダさんは私の両親に会いに日本に来てくれたから、正々堂々と婚約者ということで、ダダさんを父に紹介した。ダダさんは日本語を来日前から勉強していたから、一生懸命頑張ってコミュニケーションを取ろうとしてくれた。でも母には、そんな彼は礼儀知らず、常識なしの図々しい人物に見えたようで、相変わらずダダさんのことが大嫌いだった。国際結婚のむずかしいところ。でもびっくりしたことに、あれほど最初は私のカナダ行きに反対し、日本人の彼との結婚を無理強いした父が、実際にダダさんに会うと、すぐに彼のことを気に入って、私たちの結婚を喜んでくれた。私は正直びっくりした。

 何年もたってから聞いた話だと、実はダダさんの家族でも、日本人の私と結婚することに反対意見があったらしいし、私の九州の親戚の中にも、外国人と結婚した私を認めない人もいたらしい…。そんなことはつゆ知らず、幸せの絶頂にいた私たちは、早速結婚式を日本ですることにした。皆さんご存知と思いますが、中部地区の結婚式は豪華というのは本当。だからうちの両親は、私のために結構な額の結婚資金を貯めておいてくれた。でも、私たちの結婚式には問題があった、ダダさんの両親は日本には来れないということ。結局、私の友人だけ20名ほど招待する小さい結婚式をすることにした。そして、結婚資金は私たちの家をカナダで買うための資金に充てることに。披露宴は、カラオケパーティーをみんなでワイワイするだけの簡単なもの、友達に祝福されて私たちはとても幸せだった。たくさんの人の前でちやほやされるのは私は好きではないし、たった一日のために何百万円もお金を使って、見栄を張るだけの結婚式をすることが、私には全く無意味に思えたから。とは言っても、私はウエディングドレスを着てチャペルで結婚する夢があったんだけど、あまりにも今まで私は両親に迷惑をかけ続けていたから、両親が喜ぶように日本式の神前結婚をすることにした。ダダさんは初めての羽織袴。どうなることやらと思っていた私たちに、着付けのおばちゃんが 「お婿さんは恰幅がいいから着物がものすごく似合う」と言ってくれた。でも、本当に着物がよく似合うダダさん、めちゃくちゃ男前だった。そして私たちは、1999年3月28日に愛知県で結婚した。

 ただ、この私にとって最高の結婚式の最中に、私が全精神を集中して笑わないように何とか頑張った、珍ストーリーがあったことも話さなくてはいけない!これは、まさにダウンタウンの笑ってはいけない何とか…っていう番組そのものだった。私以外の誰も気にしてないみたいで、みんな超真面目な顔で私たちの神聖な式を見守る。私はというと、ここは絶対に笑ってはいけないと思うと余計に笑いたくなるという苦しい状況。式場のコーディネーターさんが気を使ってくれて、私たちの結婚の誓いの言葉を日本語でダダさんが読むという粋な提案をしてくれたことをちょっと恨んだ。ダダさんもすごく頑張って、一世一代の舞台だから、失敗できないから、練習をいっぱいしてくれたんだけど、超まじめな神前結婚の最中の結婚の誓いをダダさんが、めちゃくちゃドぎつい英語なまりで読んでくれるもんだから…私は感動で涙が出るどころか笑いをこらえるのにとにかく必死で、それで涙が出たくらいだった。みんなもこんな経験ってある? でもこれも今となっては本当にいい思い出だ。

ドナルド涼子
BCRPA Fitness Presenter,Yoga Teacher.
48歳、愛知県出身、
2016年ベストインストラクター賞を受賞。43歳の時に、ボディービルのビキニコンペティションを趣味として始め、優勝、上位入賞する。フィットネスプロフェッショナルへの講習、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導、心と体の健康と幸せの為の講演活動を行っています。
こんな肩書を持つ私ですが、若かった頃は、デブ、ネガティブ、ずっと自分の事が大嫌いだった。このコラムでは、そんな私が、どうやって健康で幸せな今の自分に変身したかのお話です。
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第14話 プロポーズは私から

2019年3月28日 第13号

 とにかく勢いで、どうしても2人でいたかった私たちは、カナダでの同棲生活をスタートさせた。ダダさんはいつも正直、やさしく私を愛してくれる。そんな彼の前では、私の日本人的な建前なんてすぐ崩れてた。というかそんなもの2人の間には必要なかった。最初は6カ月の観光ビサで入国した私、所持金も全然なかった。でもできるだけ長く滞在したいと思った私は、金欠でやばいときは、親のクレジットカードを使ったり、日本人の学生相手に英語を教えたりして小金を稼ぎ、何とかギリギリのところで生活した。住まいは、友人とシェアハウス。そのころの私たちの家賃は2人で300ドルだったかな。お金は全然なかったけど、私はダダさんと一緒にいるだけで良かった。

 この私の小金稼ぎの英語の家庭教師の仕事が、びっくりすることに大当たり。生徒がどんどん増えていった。カナダに留学に来てるのに、何で日本人の先生に教わりたいの?とみんなは思うかもしれないけど、実際、多くの人がネイティブの先生だと、どうも痒い所に手が届かない…じゃないけど、細かい表現とかがむずかしいんだよね。そんなレアな需要に私のサービスがヒット。私はこの仕事にすごくやりがいを感じた。

 私たちは何をするにもいつも一緒、同棲して何カ月たっても、やっぱりダダさんは私のソウルメイトだった。でも実際問題、私は典型的な日本人で、本音は言わない。だから時々フラストレーションがたまる。おまけにうまく英語で表現ができなくて誤解を招き、喧嘩になることも多々。あの頃、ダダさんのことは日本の家族には内緒にしていたから、泣きつくわけにもいかず、頼れる友達もいない。つらい時がいっぱいあったな。ダダさんは私の目を見て、何かもっと言いたいことが絶対にあるはずだから、言うまでは許さないといつも言う。どんなに長く時間がかかろうが、疲れていようが、必ず彼は「喧嘩は絶対に翌日には持ち越さないこと、とことん話し合う」といつも言ってくれた。ダダさんの愛情のこもったこの“digging”(本音を掘り起こす)は20年たった今でもずっとそのまま、でももう今ではダダさんのおかげで、素直に自分の意思を表現できるようになれた。ダダさんははっきり言って、カナダでの私の育ての親みたいなものだ。

 しかし、いっぱい愛し合い、喧嘩もたくさんした私たちのとっても濃い1年の同棲生活が終わろうとしていた。私はダダさんとの関係を自分なりによく考えてみた。帰国しなければいけない時期は、もう私の目の前に差し迫る。6カ月の観光ビザをもうすでに一度延長していたし、しかも所持金もない私には、カナダにこれ以上滞在できるチョイスがなかった。当時、たくさんの日本人の女の子が結婚を本当はしたいけど、それはかなわず、でも彼と別れたくないから、日本とカナダを行ったり来たりして時間を無駄にしている子がいた。そんな彼女たちを見ていて、“私は愛している女と結婚する決心ができないようなダメ男のために、自分の人生を棒に振るつもりはない”と思った。よく考えたうえで、私が出した結論は、“やっぱり私にはダダさんしかいない”ということ。私の帰国の日も差し迫る中、私は一大決心をした。

 私はダダさんに、「話がある…」と切り出し、「観光ビザがもうすぐ切れるから帰国しなければいけないけど、観光ビザでカナダに戻って来るつもりはない。私と結婚する覚悟が今ないんだったら、4歳年上の私の時間の無駄になるから私は日本に帰る。どうする?」当時23歳の若いダダさんが、その時はまだ結婚したくないことは知っていた。でもあえて私は、こんな直球を投げてみた。彼は真面目な顔で、「何か強迫されてる感じがする。でもちょっと考えさせて」と言って部屋を出て行った。2〜3分して帰ってきた彼は、手にアルミホイルで作った指輪をもって、「Will you marry me ?」と私に言った。

 そう、これが私たちの思い出に残る、プロポーズ。彼は、「結婚を最終的に決断したのは自分だから、プロポーズは自分からしたんだ」といまだに言いはるけど、私的には、私がプロポーズしたと思ってる。ということで私は、今時流行りの肉食女子をかなり先取りしていたという感じ?! 

ドナルド涼子
BCRPA Fitness Presenter,Yoga Teacher.
48歳、愛知県出身、
2016年ベストインストラクター賞を受賞。43歳の時に、ボディービルのビキニコンペティションを趣味として始め、優勝、上位入賞する。フィットネスプロフェッショナルへの講習、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導、心と体の健康と幸せの為の講演活動を行っています。
こんな肩書を持つ私ですが、若かった頃は、デブ、ネガティブ、ずっと自分の事が大嫌いだった。このコラムでは、そんな私が、どうやって健康で幸せな今の自分に変身したかのお話です。
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