2017年5月18日 第20号

 2017年のカナダは建国150周年を迎えているため、関連の行事が各地で繰り広げられている。この記念すべき一年は、また日系カナダ人や日本人移住者たちにとっても非常に意味のあるエポック・メーキングの年である。

 まずはカナダ移民第一号といわれる永野萬蔵が来加してから140年目に当たるのだ。しかし最近の歴史家の調査によると、もっと信憑性のある新説も唱えられ萬蔵説に多少陰りも見える。

 だがこれは驚くには当たらない。歴史とは常にそういうものであるが、今のところはまだ、長崎県口之津の小さな漁村出身の19歳の若者が、1877年にカナダに一歩を踏んだパイオニアということになっている。

 同時期には同じように、漁村、農村の長男以下の若い男たちが仕事を求めカナダにやって来た。その後一応仕事が安定してから写真婚などで女性たちを呼び寄せ、家族を形成しカナダの日系史が徐々に積み重ねられていった。新開拓地では、その多くが農業や漁業に従事し、真面目に働き生活を築いたのである。

 だが残念なことに、1941年12月8日に母国日本が、第二次世界大戦に参戦し真珠湾を攻撃したことで、米国ばかりではなくカナダの日本人移民たちの生活も一変した。つまり一夜で「敵国人」となってしまった彼らは、政府の命令で1942年2月までに、ロッキー山脈の麓に建てられた幾つかの粗末な強制収容所に送られたのだ。

 今年はその悲史から数え75年目にあたる。今までに多くの個人的な体験記や家族の物語、または社会学者、歴史学者たちが事実を記述したことで、関係者以外でも、この歴史を知る人は多い。加えて1989年には当時のマルルーニー首相によって、日系人1万7千余人に一律2万1千ドルが個人補償として支払われ、また日系コミュニティーには復興のための資金が供出されるなどして、一件落着したかに見えた。

 だが当事の日系人たちは、強制収容直前には漁船、家屋、車をはじめとする私的所有物のほとんどを政府勅令の保護下に置かれたり、また無理やり売りさばかれたりした。しかし終戦後も1949年まで法律によって西海岸地域に戻れなかった彼らにとっては、結局すべての物がうやむやの内に没収されたも同然で、それらが持ち主の手に戻ることは一切なかったのである。

 人種差別が根底にあったこの史実は、金銭で補償されれば済むというものでないことは明らかだが、今までに個人的なレベルの調査以外に行われたことはない。

 だが、うれしいことに、3年ほど前に、この問題に真正面から真摯に向き合い、チームワークによって出来うる限りの真実を掘り起こそうとする試みが、ビクトリア大学で開始された。プロジェクトは「Landscape of Injustice(不正義の風景)」と呼ばれるもので、Canada Councilその他から5.5ミリオンの予算を得て、7年の調査期間を予定している。

 4月末には、興味を持つ一般の人も参加できる現段階の調査報告会が、ビクトリア大学構内で開催された。関係者が地道に研究を続けていることがよくわかるものであったが、こうした試みは、ひとえに日系カナダ人の過去の問題に焦点を当てるにとどまらない。今世界を席巻している民族主義の風潮に釘をさす意味でも大変貴重なプロジェクトといえる。

 それにしてもオランダやフランスでの最近の選挙で、極右の政党が政権を取ることがなかった結果になったことは喜ばしい。

4月末ビクトリア大学で行われた中間報告の会合

サンダース宮松敬子 
フリーランス・ジャーナリスト。カナダに移住して40数年後の2014年春に、エスニック色が濃厚な文化の町トロント市から「文化は自然」のビクトリア市に国内移住。白人色の濃い当地の様相に「ここも同じカナダか!」と驚愕。だがそれこそがカナダの一面と理解し、引き続きニュースを追っている。 URL:keikomiyamatsu.com/
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