第21話 緊急帝王切開

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2019年6月13日 第24号

 普通は、促進剤を使えば、大概は子宮口は開くもんなんです、でも私の場合は3cmしか開かなかった。とうとう破水後3日目、これ以上待つと赤ちゃんに負担がかかりすぎるからということで、緊急で帝王切開をすることになった。もうこの時点では、自然分娩とか、もうどうでもいい私。とにかく早く赤ちゃんに会いたいと思った。

 というわけで、2001年4月30日の午前4時に無事に私たちの第一子、なよみ・カーストン・ドナルドが生まれた。予定日よりも3週間も早く生まれたくせに、3270gも体重があった。彼女と最初に会ったのは、手術室。局部麻酔だったから私は手術中ずっとしっかり意識があったし、先生たちが、なよみを引っ張りだしている変な感覚もしっかりわかっていた。ダダさんは私の枕元でずっと一緒にいてくれた。後で聞いたんだけど、私の腸を先生がお腹から出しているのを見てしまったと言っていた。私が、どんなだった?と聞いたら「どす黒くて気持ち悪かった」だって。ダダさんも3日間私につきっきりで大変だった。さて、私のお腹から出てきたなよみ、最初に初めて彼女を見た瞬間私は、ビックリ。だって彼女の頭が、どんぐりみたいにとがっていたから。陣痛促進をして、でも子宮口が開かなかったから、ずっと頭を押されていたからだと先生が説明してくれた。私は内心、“へっ、ちょっとブスかわいい”と思ってしまった。ダダさんはというと、“She is so gorgeous”と彼女の美しさを絶賛。やはり西洋の人だなとそれを聞いて思った。私はなぜか、こっ恥ずかしくて、“かわいい” とか言えない自分がいた。

 さて、3日間にも及ぶ長い出産を経験し、結局帝王切開になった私。はっきり言って出産後1日目の記憶が全くない。あまりにも疲れ果て、すべてが劇的過ぎて、写真も全然撮ってない。これはいまだに残念。しかも、麻酔の副作用のせいで私はひどい便秘になった。でも傷が痛くていきめない、疲労困憊、神経過敏で、私は便秘ごときで感情が高ぶってしまって、“ウンチが出なーい”と大泣きして看護師さんに愚痴ってしまった。今思い出すと、ちょっとヤバかったと自分でも思う、恥ずかしい。しかも、帝王切開2日目から、次から次にさっそくダダさんの友人、家族がなよみを見に病院に押し掛けてきた。私は、極限状態にいたし、きっとマタニティーブルーも手伝っていたと思うけど、みんなにガンガン押しかけて来られて、一層神経ピリピリ状態になった。

 お医者さんは、おなかが痛くて自分でベットから起き上がれない私に、術後すぐに歩けと言い、なよみのお世話も自分で全部した。特に大変だったのは、母乳。私は、自分は絶対母乳で育てたいと思ってたけど、実際やってみると、すごく難しい。

 さて、苦しみの連続の術後3日目には、抜糸で、順調に回復?!してるからと言って(退院)追い出された。私の本音は、もちろん退院したくなかった、だっておっぱいのあげ方も全然わかんない、傷もめちゃくちゃ痛くて思うように体が動けない状態だよ。母が日本から来る時までの2週間をダダさんのお母さんの所で過ごす予定になっていた。ダダさんは仕事に行かなければいけないし、頼れない。でも、幸いにも家事、食事はダダさんのお母さんに任せて、私は慣れない育児に専念することができた。でも、またまた日本人の看護師さんですが、ご丁寧に訪問での母乳マッサージサービスまでしてくれて、私はすごくラッキーだった。カナダでの帝王切開、初めての子育て、あの時は本当にいろいろな人に助けてもらった、今でも感謝感謝。

 ちなみに、このマタニティーグループ“マム”現在も活動されているみたいです。確か、イガラシさんだったと思うんですが、何しろ18年前の事で、記憶が定かでない。

 あの時は、本当にいろいろありがとうございました。

ドナルド涼子
BCRPA Fitness Presenter,Yoga Teacher.
48歳、愛知県出身、
2016年ベストインストラクター賞を受賞。43歳の時に、ボディービルのビキニコンペティションを趣味として始め、優勝、上位入賞する。フィットネスプロフェッショナルへの講習、地域の学校でのヨガ、フィットネス指導、心と体の健康と幸せの為の講演活動を行っています。
こんな肩書を持つ私ですが、若かった頃は、デブ、ネガティブ、ずっと自分の事が大嫌いだった。このコラムでは、そんな私が、どうやって健康で幸せな今の自分に変身したかのお話です。
涼子のフィットネスプログラムは、YouTubeもしくはNikkei TVにてご覧いただけます。
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