「カナダで出会った新渡戸稲造」⑧

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新渡戸紀念庭園、なぜUBCに・・・

 野球に関することから新渡戸稲造に興味を持ち、あれこれ調べていくうちに、いろいろな分野で素晴らしい功績を残した偉大な国際人、大いに感動しました。

 そこで生い立ちから生涯を閉じるまで、「カナダで出会った新渡戸稲造」と題して七回に分けて書き綴ってきました。小生がバンクーバーに移住(1994年)して間もなく、UBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)で日本語を教える機会があり、さっそく学生たちと大学構内にある新渡戸紀念庭園を見に行きました。

新渡戸記念庭園 Photo © 矢野修三 
新渡戸記念庭園 Photo © 矢野修三 

 その当時はまだ新渡戸稲造についてあまり存じ上げず、でもいろいろ調べ始めると、UBCに新渡戸博士を記念する庭園があるのも大いに納得。当然、教育者としてUBCで講演などを行なったものと、勝手に思い込んでいました。UBCと、いつ、どのような繋がりがあったのか、とても楽しみでした。でも、なかなかこれといった接点が見つからず、ビクトリアで帰らぬ人となってしまいました。

 そこで、なぜUBCに新渡戸紀念庭園があるのか…、とても気になり、改めて調べてみました。バンクーバー日系ガーデナーズ協会や庭園関係者の方々にも会っていろいろお聞きしました。

大きな石燈籠 Photo © 矢野修三
大きな石燈籠 Photo © 矢野修三

 まず、1933年10月 新渡戸稲造がビクトリアで客死してすぐに、バンクーバーの日系移民の人々や領事館そしてガーデナーの人々が協力して、新渡戸博士の功績を記念する庭園を造ろうということになり、大きな石灯籠を日本の石材店に発注したとのこと。

芝生の上に石灯籠を置いたようです。Photo © 矢野修三
芝生の上に石灯籠を置いたようです。Photo © 矢野修三

 最初はスタンレー公園に設置する案もあったようですが、1935年にUBCの大学構内に日本庭園を造り、大学に寄贈しました。周囲との調和にも配慮し、純粋な日本式庭園ではなく、日本とカナダの折衷方式、芝生の上に日本から届いた大きな石灯籠を置いたようです。現在の新渡戸ガーデンから少し離れた場所です。

 そのころのバンクーバーは日系移民への人種差別や排斥運動がかなり激しく、それを少しでも和らげようと、野球のバンクーバー朝日軍の頑張りなどもありました。

 その朝日軍に、彼の著書「武士道」に因んで、「ブシドー、ブシドー」と皆で応援したようです。この偉大な国際人・新渡戸博士を記念する庭園を名高いUBCに寄贈することで反日感情を少しでも静めたい…、こんな思いが日系人の心の中に強くあったのではと、感じました。

「願わくは われ太平洋の橋とならん」の石碑 Photo © 矢野修三
「願わくは われ太平洋の橋とならん」の石碑 Photo © 矢野修三

 その後、1941年太平洋戦争に突入し、石灯籠は倒され、新渡戸庭園も荒れてしまったようです。

 そして、終戦間近の1944年にノーマン・マッケンジー(1894年~1986年)がUBCの総長に就任。ここに新渡戸稲造との大きな結びつきが見つかりました。彼は1925年からカナダ代表として国際連盟で新渡戸稲造と一緒に仕事をしていました。また太平洋問題調査会でもカナダ代表として、新渡戸博士と最後の別れとなったバンフの会議にも出席しており、新渡戸稲造とは長い間、友好関係が続いていたようです。

 マッケンジーは32歳も年上の国際人・新渡戸博士に高い敬意を払っていたものと、いろいろな資料からも想像できます。

 戦争も終わり、庭園も整備されました。1954年(昭和29年)には吉田茂首相が新渡戸ガーデンを訪れています。その後1958年にUBCの日加文化交流の開始に伴い、新渡戸ガーデンを本格的な日本式庭園に作り替えたいという企画が出来上がったようです。それはノーマン・マッケンジー総長の新渡戸博士に対する想い、まさに素敵な「鶴の一声」で決まったのでは…と思えてなりません。

管理主任の杉山さんと…Photo © 矢野修三
管理主任の杉山さんと…Photo © 矢野修三

 早速、募金活動なども行なわれ、日本領事館やこの年1959年に設立したバンクーバー日系ガーデナーズ協会も全面協力。設計は国内外で多くの日本庭園を手掛けている森歓之助(1894年~1960年、千葉大学園芸学部卒)が行ない、現在の場所に造園、1960年に完成しました。

 今では幻となった最初の庭園からあの大きな石灯籠を移転、運んだ方からいろいろ苦労話などもお聞きしました。池を太平洋に見立て、橋を架け、若き稲造の決意 「われ、太平洋の橋とならん」の石碑もあり、とっても素晴らしい純日本風の庭園です。

稲造の生年月日が…Photo © 矢野修三
稲造の生年月日が…Photo © 矢野修三

 ただ少し気になることが…、その大きな石灯籠に新渡戸博士の説明板があり、1861~1933 になっています。うーん、誕生年、正しくは1862年(文久2年)です。

 多分、この石灯籠を作った1935年ごろ、日本では生没年に西暦など使っておらず、また年齢も数え年であり、単なる計算ミスかと…。確かに、この古い石灯籠には長い歴史があり、そのようなことはあまり気にせず、でもいろいろ調べた者にはちょっと。

 そこでガーデン管理の人に苔などをうまく利用して、何となく数字を見えにくく…と、頼みたい思いです。

 この新渡戸紀念庭園は四季折々の風景を楽しむことができ、とても心和みます。ぜひ何度も足を運んでください。

 長い間お読みいただき、誠にありがとうございました。

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