カラスの人生 ~投稿千景~

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エドサトウ

 墓園を歩いていると、頭上をカラスが飛んで行き前の方に降りる。

 昨日からの雪が薄っすらと積もっている朝、カラスは朝早くから何をしているのだろうか?思わず、「お前たちの人生(生活)は、何か楽しい事はあるのか?」と問うてみたい気がした。

 するとカラスは「いや人生の目的もなく飛び回って、餌をさがすだけですわ」
 「そうだろうな!ただ生きているだけだなあ!」
 からすは言う「いや、それでも春や夏にはフード(食料)も沢山ですから、腹一杯にたべられるのは楽しいですねぇ」

 「食べて寝るだけの人生で一生を過ごしてゆくだけか?」
 カラスはまた言う「それでも鳥インフルエンザにかかったりしたら全滅ですし、食いものが無ければ、渡り鳥のように他の国に行かんといかんのですわ。まあ、無事に一生を過ごして子孫が残れば何も言うことはありませんねえ」

 「そうか、俺も、お前達と似たり寄ったりの人生だな。テーブルの上には充分なフードはあるし、孫たちもいる。平穏無事な人生は、カラスくん達と同じかもしれないなあ」

 生きると言うことは「裏を見せ 表を見せて散る 紅葉」という良寛の死床の一句であるが、これについて牧師さんの井上洋治氏は『余白を語る』という本の中で「ここに宗教の最高の境地があると言う気がします。どうしても裏を見せたくないといったつまらない見栄や我にこだわらず風にすべてをまかせて散ってゆく紅葉。それが良寛さんの理想の境地だったんでしょう。紅葉は風にまかせることによって、たとえ泥まみれの無残な姿になろうとも、さわやかな秋風を私たちに告げてくれるのでしょう」

 カラスは言う「だんな!旦那の言われたことは、世間一般的なことでしょう。人の人生にはもっと深いものがあるのでしょうねえ?」

 さらに小生は言う「いや、大げさに言えばだ。本当の自由とは物理的な自由ではなく、内面的な精神の自由がなくてはならぬということだろうな」

 「その意味で、僕は出来の悪い学生ではあったが、好きな本は自由に読めたのは良かったし、運よく若くして東南アジアの国々見たしね。当時(50年くらい前)台湾の港に僕達グループの船が入港したのだけれども、台湾は大陸の中国と対立していて戒厳令下で、港の写真を撮るなという注意の伝達があった。

 中国大陸の共産党は独立して15年目ぐらいで原爆の実験に成功しているし、文化革命が吹き荒れていた時代が過ぎ去ろうという時代であり、インドネシアでも経済的力を持つ中国系の華僑の人達が標的にされて殺されたりもした。

 インドでは、まだ多くの貧困層の人々がいた時代を体感できたこと、さらにその後、アメリカ大陸の北にあるカナダに来て「西洋」、言い換えればモダニズムの文化の中で生活できた自分は運のよい人生だと思うけれど」
  
 カラスは言う「僕たちカラスの人生(鳥の生涯)は変わらないけれど、農薬の散布などで虫という生きもののフードソースは少なくなったり、鳥の巣にプラスチックや化学繊維などが使われたり、人さまが残したフードの残りにありつけるようなモダンな社会になり、すこしは良い鳥たちのバードライフですよ。もし、仮に気候変動で寒いミニ氷河期時代が来たら、食料も足りなくなり僕ら鳥たちももっと辛くなるかもしれないなあ」

 カラスがまたいう「旦那、今をどう生きているかが大切なのですよ」
 小生は答える「うまいことを言うねえ。つまり、今がハッピーかどうかと言うことか?八咫かのカラスと言って、古代日本で僕達先祖の道案内をして助けたことがあるのだよ。頭の良いカラスくんの言うことはもっともだよ」

 やがて東の空が明るくなり、むらさきだちたる雲が、細くたなびきたる。カラスが鳴きながら三つ四つと去りゆく早春の朝はいとおかし。