第110回 歌子小母様 

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グランマのひとりごと

~グランマのひとりごと~

 ねぇ、この手紙読める? きれいな字でしょう? これ万葉仮名っていうのですって。この美しい万葉仮名で書かれた手紙を80年の人生でグランマは数回受け取った。今、その歌子小母様からの手紙はグランマの宝なのだ。

 私達「女性企業家の会」にはブッククラブがある。もう10数年間,年に数冊の本を読む。メンバーの誰かによって選ばれた本は、グランマにとっては、自分以外の人が、毎回それぞれの観点から選んだ、本当に興味深い本達なのだ。

 今日は久しぶりにブッククラブの会合の日だ。COVID-19で集まり禁止令が出て集まる事が出来ない。やっとZOOMで会合が持たれたが、やはりパッとしない。そして、やっと今回は10名迄の集まりの許可が下りたのだ。

 今回の本は『危機の現場に立つ』中満 泉 講談社 

 著者は「国連軍縮で担当事務次長」であり、2児の母である。其の本は難民支援交渉から、目のあたりにした不正義への憤りと国連で働く意義、子育てと両立、等々国際協力の現場を目指す人に有意義なメッセージが書かれている。

 其の本を読んでいるうちに、万葉仮名を書く「歌子小母様」を思い出した。

 歌子小母様の夫は大瀬の小父様と私が呼ぶ、国連の熱帯病の専門医だった。

 ご夫妻は人生のほとんどをアフリカで過ごしていた。最後に住んでいたのはエチオピアだった。当時のエチオピアの皇帝が「NOと言わない男!」と激賞したと言う、それがその大瀬のおじ様だと聞いている。

 彼は大宅壮一賞受賞作家桐島洋子先生の伯父様で、国連の熱帯病専門医として長年アフリカで働いていた。退職しご帰国後、洋子先生が彼らをバンクーバーへご招待し、彼女のコールハーバーのコンドに滞在されていた。

 当時、コールハーバーとは未だ呼ばれていなかったが、そこは海に面し、西はライオンズ ゲイト ブリッジから東はセカンド ナロウ ブリッジ迄サーっと窓から見渡せる。早朝にアラスカ クルーズの真っ白な船がライオンズ ゲイト ブリッジをくぐって出航し、夕方には又他の船が、さっそうと入港してくる。

 海の向こうはウエスト バンクーバ―の山々、水上飛行機がスタンリー公園の入り口のマリン ハーバーから飛び立ち、着水はそのコンドの目前でする。水中にガソリン スタンドがあり、モーターボートがそこでガソリンの供給しているのだろう。時々、山側から美しい虹が海を東西に渡ってサーっと広がって見える。

 洋子先生に誘われて一緒に買ったそのコンドの6階にグランマの事務所があり、洋子先生は9階だった。兎に角、眺めがよく又立地条件が最高、住み心地も満点コンドであった。

 大瀬ご夫妻は時々事務所へ私を訪ねて下さった。そして、珍しいアフリカでの彼らの体験談を聞く。

 ある時、歌子小母様が一人で事務所へいらした。お茶を飲みながら、ジープの話! ええ、このお年寄りが「ジープ!?」と思った。

 やがて彼女が「それがねぇ、臭いのよぅ。」

 何故、臭いかと言うと小父様がジープに乗って、病人が出るとどこでも行く。彼は「人食い人種と言われる人達の村でも、病人が出れば治療に行くのよ。そしてねぇ、そこで、彼等と同じ食べ物を食べて帰って来るから臭いのよー」と小母様は笑いながら言う。そいう所へ、普通の車ではいけないからジープを使っていたのだ。

 ある時、大瀬の小父様が言った「部落民と一緒に、彼等の食物を食べる事で、信頼を得て、治療が出来るのです。食べたくないけれど、それも良い治療法の過程なのです。」と語り、一つのアルミを固めたような飾り物を下さった。

 それは10cm大の十字架に似た物だった。病人の治療をし、助けられた部落人はドクター大瀬にお礼がしたい。彼等の生活で大事なもの、それがその金属の手造りの飾り物だった。一番大事な物を、助けた小父様に差し上げ、感謝の意を表していたのだ。

 お二人はそんな飾り物を沢山持っていた。助けた人の数だけあるのかもしれない。それは一般社会で金銭価値のあるものではない、しかし、普通の人が決して入手できる物ではない。グランマは有難く頂いた。

 彼らが20数年間、人命を助けながら生きた、アフリカでのご苦労がグランマの心にジーンと沁み伝わっていた。

 そして、今日、ブッククラブで話す『危機の現場に立つ』の読後感。ドクター大瀬もまた国連で働く人だった。数々のグランマが行った事もない、聞いた事もないそんな所で、著者、中満さんが体験され、「私達の仕事では、時に人間の最も恐ろしく、汚く、罪深いところをみせつけられることもある。

 今日の日本では想像するのが難しいが、世界の多くの場所で「平和」は苦労して作り出し、大切に守らなければならない物で、自然と存在するものではない。

 日本で育ち、チームワークを尊重して勤勉に正直にガンバル習慣を自然に身に付けることが出来た私は、日本人として得をしたと思う、損したと思った事は一度もないと言っています。

 そして、グランマも日本を出てから60年、日本人であり、「和」の教えに生きて来た国民なのですね。

 本当に、中満さんと同じ気持ちです。グランマは 「カナダ大好き」、

 そして、今更ながら、有り難う、母国日本!

許 澄子

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 好評の連載コラム『老婆のひとりごと』。コラム内容と「老婆」という言葉のイメージが違いすぎる、という声をいただいています。オンライン版バンクーバー新報で連載再開にあたり、「老婆」から「グランマのひとりごと」にタイトルを変更しました。これまでどおり、好奇心いっぱいの許澄子さんが日々の暮らしや不思議な体験を綴ります。

 今後ともコラム「グランマのひとりごと」をよろしくお願いします。