運のいい奴 ~投稿千景~

1942

エドサトウ

 妻が亡くなって、もうすぐ十年になろうとしている。晩年の人生計画が突然に狂い、自分で自活しなければ、いけなくなったことは予想外のことであったのは、運の悪い人生のようにも思えるが、十年を振り返れば、そうでもなかったように見えるのは、やはり、僕自身が運が良いのかもしれない。

 かって、パナソニック創業者であった松下幸之助さんが就職試験で面接者に、まず「あなたは自分で運が良いか、悪いか、どう思いますか?」と問うたという話がある。もちろん採用された人は「運が良い方だと思う」と答えた人だという。

 愛知県は尾張出生の織田信長も豊臣秀吉も運の良い人たちであったと思う。まず、当時の日本気候が比較的に良く、コメの増産があり、食料がわりと豊かな時代に恵まれたのであろうという説もある。

 運の良い人は、天候も左右するらしい。織田信長は、戦時には悪天候と思われる雨降りの日を逆に利用している。長篠の戦では、大量の鉄砲が使用されて、信長は天下の武田騎馬軍団を破った。

 この時、三段構えの鉄砲戦術を、信長が考えたとされるが、最近の考えではそれは無かったのではと言われているが、僕自身をふくむ尾張人の「石橋を叩いて渡る」という気質からすれば、信長は梅雨時の雨の天気でも鉄砲が使用出来るように三段構えの考えはあったと思われる。雨の場合、後方のわら小屋で火縄銃に火薬を詰めて前にでて射撃をするという考えであるが、当日は、雨はなく、もしろ乱射されたのではというのが小生の私見である。

 コンピューターは、入力されたデイターから言う、「長生きするには、一人で生活する方が良い」と。知り合いのお客さんのなかに、90歳を過ぎても一人で一軒家で生活をしている方がいる。一人ということは、自分でなんでもせねばならず、こまめに身体を動かしているから、逆に血流がよく健康にも良いのかもしれない。

 僕も妻がいなくなり自活となり、自分で料理などをしなければなくなり、その点では大変であったが、十年もすれば、外食に頼らずとも、それなりに料理もできるようになり、健康管理も食事からコントロールできるようにになったのは良かったと思っている。

 今だに、健康に仕事が続けられるのは嬉しいことである。

 高校時代に不勉強で成績の悪かった小生が、その後、東南アジアの国々を、全国の若き仲間達と訪問できたのは、最高に運が良かった。その勢いに乗りカナダまで農業訓練生として渡加できたのである。

 カナダの生活は、2年間の南アルバータ州の農業訓練の後、バンクーバーに出てきて、造船所に働き、結婚もして家族ができて家を買ったことはローン返済で大変であったが、今となれば大きな財産となった。

 しかし、造船所の仕事が無くなり、父が「日本に帰ってきたら、どうか? お前が一生かかっても一億円という資産は残せないぞ! 日本に帰ってぼつぼつ暮らしても我が家の資産は残るから考えてみよ。」と言われたが、結局、子供たちの生活が中途半端になることの不安があり、僕達家族はカナダに残ることにしたのである。

 結果的に、日本の不動産がデフレで上がらくなるのをしり目に、カナダの古い我が家も父が言っていた金額を超えてしまったのは、やはり、運が良かったと言うべきであろう。

 その上で、地味な商売であるガーデニングの仕事を息子達が続けてくれることは、きわめて運が良かったと思う今日この頃である。いみじくも亡き友が言った。「お前の手相は、大器晩成だ」と、彼が言ったことは案外と嘘ではなかったようである。その彼も、今頃は、天国で「それみろ!」と笑っているかもしれない。僕は「有難う!」というしかないだろう。