米国民主党の主導する民主主義普及活動について   後編

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 桂川雅夫さんの米国民主党が主導する民主主義についての投稿。前編に続いての後編。

2021.11.11

 桂川 雅夫

 国ごとに違うそれぞれの国民の経済的な基盤はある程度民主主義化の成否に影響するだろうと思うが、やはり最も成否を分けるのは、国ごとに異なる人々のもつ宗教や信仰心の度合いの差だと思う。民主主義(主権在民、法の支配、機会均等、言論の自由等)が生まれた欧州はキリスト教国だ。米国も生い立ちはキリスト教の理想郷国家を造るというのが建国の精神と目的だった。

 確かに今年のノーベル平和賞者のフィリッピンのマリア・レッサ女史の云う通りの「表現の自由が無くなれば、民主主義は終わりだ」の如く、独裁政権や現在のミャンマーの軍事政権の様な政治形態よりは、誰もが民主主義を歓迎するであろう。然し、民主主義の大事な要素の“万民平等”は、本当にそうなのかである。万民はすべての事柄で機会も権利も結果も均等だという事なのだとすれば、それはあり得ないと思う。

 生まれたときから、能力も、体格も、肌色も、容姿も、或いは生まれる国も家柄も、皆違うから運よく金持ちの子として生まれるか、貧乏人の子として生まれるかで、例えば教育を受ける機会も異なるであろうし、その結果としてそれぞれの人の生涯は同じという事はあり得ないから、他の政治形態に比して良いとはいえるが、民主主義を奉心していても、万民平等を保証する完ぺきな制度だと、全ての人々が満足しているわけではないと思う。

 しかしこの世界に、大多数の国民が万人機会均等でないことを納得して日々をおくっている国もある。それは東南アジアの小乗仏教が盛んな国々である。宗教的な土台が異なれば、国の政治的な制度の選択も異なるという例だ。何故そういう事があり得るかの鍵は“輪廻思想”を持つか否かの違いだと思う。輪廻を前提とした仏教、特に釈迦が説いたままの原始仏教を行ずる、東南アジヤの小乗仏教徒にとっては、“人は生まれてくるときから万人平等ではない“、と納得しており不公平さに疑問を持っていない。

 それは輪廻と云う事を信じて、生まれながらに存在するというその差は、己の前世の生き方の結果によるものとして受け入れ人は平等であるべきだという事を求めていない。従って、自分の来世がより良いものになることを目指して、そのために今世でどんな生き方をするべきかを学び、その様な生き方をするように日々努力をしている。

 そういう国では、為政者も当然どうあるべきかは知っているし、国民にいつくしみを以って接し、国民は為政者に尊愛を以って接し、より良い来世を夢見ながら今世の日々を平和に暮らしている。世界に190以上の国があり、国を持たない少数民族も多く暮らしている。それぞれが輪廻思想を認めた色々な宗教を信じ、自ずと各自がどう生きるかを知っている人達も多いのではないかと思う。だから万人平等を説明できない民主主義などを広めるのは、無用ではないのだろうか。

 筆者はイスラム教の知識は全く無いし、自爆テロを認めるつもりは全くないが、それを実行するという信者がいるという事は、輪廻を信じているからだと思う。輪廻思想を認める宗教国家なら、為政者が正しい政治を行い、国民が正しい生き方をすれば、政治形態は二の次の話であり、万人平等を説明できない民主主義は、歴史的に調和のとれた為政者と民の間の関係を破壊したりする恐れもあり、混乱を招きかねないし、むしろ害をもたらす可能性もあると思う。

 そこでキリスト教のことであるが、本来はキリスト教も西暦3世紀ごろまでは輪廻を認めていたのに、コンスタンチノーブル会議で輪廻と云う事を認めないと決めたという事になったと伝えられている。従って、その時点から上記した小乗仏教の様な考え方が、全くなくなったのだと考えられる。

 そういうキリスト教国で最も良いと考えられる政治形態の民主主義は、宗教を異にする国では、既に上記したが、無用なものだったり場合によれば害にもなりえると思う。そういう宗教的背景などで異国で行われている物事を理解しようとせず、自己中心的に最も良い政治形態は民主主義だけだと、相手国の歴史、文化、宗教などを全く考慮せずに一律に押し付けようとする米国の特に民主党系の指導者たちの動きを危惧する。

 本来あるべきものは、それぞれの国の為政者の質が人の上に立つ立派な人格を備え、それぞれの国の宗教でもあがめられる様な人材であれば、民主主義を超える様な立派な政治形態が自然に生まれ、それぞれの国の人々の生活はいとなわれるのではないかという観点から、改めてこの種の問題を人類は謙虚に見直すべきことではないのだろうか。或いはそういう観点で、民主主義よりもさらに良い、どの国にとっても適応する普遍的な統治制度を人類は生み出す努力をすべきではないのだろうか。                  

 (完)

                                         

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