第122回 91歳と88歳誕生日 お祝い会

4557

~グランマのひとりごと~

 随分前の事だった。グランマは時々日系人の集まりに参加する。するとよく見かける白髭の老紳士がいた。

 いつでも穏やかな笑顔で誰とでも話している。その笑顔は全く自然体で、遠くて見ていると、彼の周りは穏やかな空気に包まれている。

 誰だろう? 色々、日系新聞等見ているうちに、やがてグランマも彼の名前と音楽家の奥様の事も耳に入ってきた。そして、ある「会」の会長さんをやっていることも分かった。

 グランマにしてみると、お寺や教会へ行って笑顔の仏像(?)、笑顔のマリア様(?)なんて見たことないけれど、ただ、その「像」を静かに見て、手を合わせる。それだけで、「心も体も温まり」ホンワカする。

 その白髭爺様は、グランマにしてみるとそんな人だった。

 そして、ある日、ダウンタウンの大道をグランマが運転中、赤信号で停車した。その交差点で、彼らご夫妻が信号待ちしていた。奥様は杖をついている。怪我をしているようだった。私は夢中で運転席の窓を開けて「桑原さーん」と怒鳴った。

 その時、彼等が私の事を知らないのだ、と言う事も忘れていた。ところが、ところがだ、彼と奥様は両手を挙げて「おお-!」と笑顔で答えてくれた。

 普通、まるで知らない人に声をかけられれば、日本の人は嫌な顔をする。「なぁーに?」と言った変な顔もする。

 状況によっては「どなたですか?」と聞いてくれることもある。それから、交差点以来、どこでどうなったか、もう忘れたが、今、彼らご夫妻が私にとっていつの間にか「笑顔神」になっている。

 今年、2月に白髭笑顔神は91歳になられ、彼を取り巻く笑顔神仲間がグランマの家に集まって、91歳の誕生祝会をした。そこで、色々話しているうちに、4月〇日がモコ奥様の88歳の誕生日と分かり、そのお祝会を企画した。

 その4月〇日にまたグランマの家に大勢、人が集まった。

 実は、昨年11月我が家で出水があり、33年の古家の手入れ時とばかり、丸まる4カ月近くかけて、家の大工事をした。

 その後で、各収納場所から取り出した雑多物が家中に散らばっている、ひどい状態だ。お客様をお招きできる状態では全くない。しかし、白髭爺笑顔紳とその仲間達は、その大汚れの家、其れでも文句なさそうだった。

 「ポットラックのランチ」。美味しいワインと焼きそばを持って、エアーライン会とウインズ合唱会のキコさんはホワイトロックから、集合時間1時間前に準備手伝いの為に来てくれた。スモーク・サーモンとチーズはエアーライン会の陽子さん。彼女は平成天皇皇后ご来加の際、日系会館で日本茶の接待をされ、美智子妃殿下から特別のお褒めをいただいた思い出を持っています。そして、次は美味しい、形の良いお稲荷さんは「外から学ぶ日本語」の矢野先生と奥様、スモーク・サーモンの、それはきれいで美味しい握り寿司、それは桜楓会の大西ご夫妻、数の子といくらの和え物、大型サーモンの豪華な塩焼きは小島みち子さんご夫妻、それぞれが心のこもった美味しい御馳走を持ってきてくれた。

 昔から、料理のできないグランマはスカイ・ダイニング社の出前、社長の愛ちゃんお勧めのトレイと炊き込みご飯を注文。所が、急に出前ができなくなり、誰かがピックアップに行くことになった。何と桜楓会会長久保ちゃんが気持ちよく行ってくれた。そして、笑顔女神88歳米寿の祝いは、笑いと大声で始まり、また笑いながら皆が帰っていった。

 2000年、夫の他界。翌年2001年にグランマは脳卒中。以来右手不自由、当時の体内出血で、お腹に出来た大きな血塊は新生児大だった。それを抱え、大きなお腹で苦しく、生きる希望をなくなっていた。

 その年の11月に、思い切ってインドまで、運勢を占う「アガスティアの葉」のリーダーを訪ねた。まぁ、よくしっていること!

 彼の言うこと、言うこと、言うこと、この20年間皆当たっていた。あの時、彼は私に「Your life is 82-83 in Indian calendar. And no next life」と言った。

 グランマは西暦で今、82歳半。毎日、来る日も、来る日も、終活と読書とサンルームの花の世話、その上、息子の老愛犬、歯無しの婆ぁさん犬の世話、そして、時々、医者通い。結構、忙しい。

 そして、ふっと寝る前に「88歳迄、生きてみたいなぁ」とモコさんみたいに…とつぶやくグランマ。

 許 澄子