第89回「焼き芋と石油ストーブ」

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 ワクワク系マーケティング実践会(このコラムでお伝えしている商売の理論と実践手法を実践する企業とビジネスパーソンの会)会員のある治療院からのご報告。開業して25年、ベッド1台の小さな、店主いわく「隠れ家的」なお店だ。

 同店の暖房は今どき珍しくなった石油ストーブ。しかも上にやかんを乗せられる昔懐かしいタイプ。初めて来院する方はみなさん懐かしがって「おばあちゃんの家に来たみたいな感じ。なんだか安心する」とよく言われ、雰囲気作りにも役立っているとのこと。

 そんなある寒い日、よくご利用いただくお客さんが来院した。いつもは明朗快活なこの方だが、この日はなんだか元気がない。施術のために仰向けになっていただくと思わず涙が…。聞くとここのところ色々あって…とのこと。施術していくうちにゆったりされてきたものの、何かぐっと一押し心を温めることができないかと考えていると、自家栽培のさつまいものことが思い出された。それをストーブの上で焼き芋にしておき、帰りにお渡しし、少しでも心温かくなってもらおうと。

 そうして施術が終わり、帰り支度をすませたその方に焼き芋を手渡すととても嬉しそう。お帰りになった後にも、丁寧なお礼のメールをいただいた。

 そこで店主はピンときた。「あ!これって商売にしてもいいかも!焚火の周りに人が集まるみたいに」。そこで、焼き芋を販売することにした。来院した際、ご希望の方にはさつまいもをストーブの上に乗せておき、お帰りの際にホクホクになった焼き芋を持って帰ってもらうというやり方だ。告知に大きなPOP(店頭販促物)を作成。そこに大きく「さつまいも、ストーブに乗せる?帰るころにはホクホクよ」と書き、掲示した。

 そうして始めたところ、大好評。初日から「なに?これ!」との質問に答えると「アハハ!ひとつお願いね」のご注文。普段あまりPOP類を見ない93歳のおじいさんも「お宅のお芋焼いて売ってるの?面白いね」とお買い上げ。その後はすっかり名物になったとのことだ。

 この焼き芋のアイデアは秀逸だ。それも、昔懐かしいストーブが活きて、お客さんにとって一層心温かい体験となる。そして、この一連のエピソードからそれ以上に思うことは、人にとってこういう場所は、欠くべからざるものだということだ。人の心を温めることをいつも考える店主による、心温まる場所。その一軒一軒はささやかかもしれないが、今暗さを増している社会の中で、それらはなくなってはならない存在なのである。


小阪裕司(こさか・ゆうじ)
プロフィール 

 山口大学人文学部卒業。1992年「オラクルひと・しくみ研究所」を設立。
 
 人の「感性」と「行動」を軸としたビジネス理論と実践手法を研究・開発し、2000年からその実践企業の会「ワクワク系マーケティング実践会」を主宰。現在全都道府県(一部海外)から約1500社が参加。

 2011年工学院大学大学院博士後期課程修了、博士(情報学)取得。学術研究と現場実践を合わせ持った独⾃の活動は、多⽅⾯から⾼い評価を得ている。 

 「⽇経MJ」(Nikkei Marketing Journal /⽇本経済新聞社発⾏)での540回を超える⼈気コラム『招客招福の法則』をはじめ、連載、執筆多数。著書は最新刊『「顧客消滅」時代のマーケティング』をはじめ、新書・⽂庫化・海外出版含め40冊。

 九州⼤学非常勤講師、⽇本感性⼯学会理事。