音楽の楽園〜もう一つのカナダ

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 バンクーバー新報の読者の皆さま、初めまして。山野内勘二と申します。

 今月から、毎月第3木曜日に、カナダと音楽の多彩な関係について極私的なエッセイを掲載させて頂きます。

 振り返ると、僕が中学生になった頃、深夜放送のラジオ番組から流れて来る欧米の音楽に完全に魅せられました。最初は、欧米のフォーク・ミュージック、やがてフォーク・ロックからハード・ロック、プログレッシブ・ロック、そしてジャズ、遂にはクラシックへと音楽の楽園にのめり込んでいきました。その過程で知るに至った事の一つは、世界的に活躍し日本人にもお馴染みのミュージシャンにカナダ出身者が意外というか非常に多い事です。と同時に、その事実が余り知られてもいません。実は、音楽に限らず、AIや量子コンピューター等のハイテクでもカナダは世界をリードしているのですが、知られてないです。きっと、カナダにはunderstatementの美学のような要因があるのかもしれません。前置きが長くなりましたが、そんなカナダの「音楽の楽園」という一面や日本との関わりを紹介していければと思っています。

 さて、7月1日はカナダの建国を祝すカナダ・デーだった訳ですが、この日、東京は青山のカナダ大使館が誇るオスカー・ピーターソン・ホールにおいて極めて意義深いイベントが行われました。カナダが誇るロック・バンドThe Guess Whoのリード・ギタリスト、ランディー・バックマンの愛機1957年製グレッチPX6120を巡る60年間の旅路を象徴するものです。日本とカナダの友情という意味でもカナディアン・ロックの歴史という文脈でも極めて意義深いイベントでした。

 60年前に遡ります。マニトバ州ウィニペグの19歳の無名の音楽青年ランディー・バックマンは、チャッド・アラン&リフレクションズという地元のバンドに参加します。その頃、バックマンは1957年製グレッチPX6120を購入します。清水の舞台から飛び降りる覚悟の超高価な買い物でした。将来への夢と音楽への愛の為せる業です。この田舎バンドは徐々に頭角を顕し、メンバー交代とバンド名変更を繰り返し、1969年にThe Guess Whoとなります。そして1970年1月、最高傑作の呼び声の高いアルバム「アメリカン・ウーマン」を発表します。同名のシングル盤は、カナダと米国でチャート首位に立ちます。一躍、世界のトップ・アーティストの一角に立ったのです。この間、バックマンはバンドの要として作曲、編曲、ギター、歌で大活躍。そして、常にこのグレッチで曲を創り演奏もしていて己の分身というか身体の一部だった訳です。

 ところが、1977年トロント公演の際に宿泊していたホテルで厳重に管理していた愛器グレッチが盗難に遭います。警察に被害届けを出すも絶望的。以来、バックマンは、このグレッチを探し続けて来ました。が、行くへは杳として知れませんでした。諦めきれぬバックマンも古希を遥かに過ぎました。

 が、遂に2020年の新型コロナ感染爆発の最中、あの1957年製グレッチPX6120が見つかったのです。奇跡です。バックマンの強い思い故でしょう。如何なる経緯で日本へ渡ったかは不明ですが、アーティスト兼作曲家のTakeshi氏が所有していることが判明しました。バックマンとTakeshiの間の折衝の末、45年の歳月を経て分身のギター・グレッチがランディー・バックマンの元に戻ることになりました。その返還式が今年のカナダ・デーにカナダ大使館のオスカー・ピーターソン・ホールで行われたのです。その夜のバックマンとTakeshiの共演はYouTubeで見られます。激動の国際情勢の下、勇気と希望を与える音楽と友情の素敵な逸話です。

 さて、「アメリカン・ウーマン」は1970年代を代表する名曲で、レニー・クラヴィッツはじめ多くのアーティストがカバーしています。カナダのバンドの曲がアメリカを歌うというのは、カナダと米国の密接な関係を示しているとも言えます。実は、アメリカのバンドがカナダを歌う例もあるのです。ちょうど7月は、“地上最大のアウトドア・ショー”と言われるスタンピードがアルバータ州カルガリーで開催される季節ですが、米国カリフォルニアを代表するThe Doobie Brothersに「スタンピード」という1975年発表のアルバムがあります。1975年名手ジェフ・“スカンク”・バクスターが参加して一層強力になったギター・ワーク満載。ギター小僧垂涎の音盤です。ジャケット写真が正にスタンピードそのもの。西部劇と大平原プレーリーのカナダを代弁しています。

 1970年代、ロックの黄金時代のカナダを味わってみては如何でしょうか?

(了)

山野内勘二
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身