「ギル・エバンス」音楽の楽園〜もう一つのカナダ 第5回

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 私事で恐縮ですが、オタワに着任して半年が経ちましたが、日々、カナダは若く新しい国だと実感します。開放性と多様性に満ちていると同時に奥深いところがあります。そして、凄い才能を生んでいる国です。例えば、ディープ・ラーニングによってAIを飛躍的に進化させたジェフ・ヒントンやヨシュア・ヴェンジオ。彼らは、未知の才能を開花させるカナダ独特の力量を世界に示しています。そこで、音楽の楽園、今月はギル・エバンスです。ジャズの世界で全く新しい響きを生んだ鬼才です。ギル自身のオーケストラでも凄い作品を残していますが、マイルス・デイビスと協働した「クールの誕生」や「スケッチ・オブ・スペイン」等は、ジャズに革命を起こしました。それに日本の音楽家とも競演しています。ギルは、高校も大学もカリフォルニアで、活躍の場はニューヨークでしたが、自分はカナダ人だと強く認識していました。正に、三つ子の魂百まで、ということでしょうか。

 「マイルス・デイビス自叙伝」には、1948年当時のギルとの関係について非常に興味深い描写があります。

・・あの頃のオレ(マイルス)は、ギル・エバンスのアパートにしょっちゅう行って、彼がする音楽の話しを聞いていた。オレ達は、初めから気が合った。彼の音楽的アイデアは、すぐにピンときたし、彼にしてもそうだった。オレ達の間では、人種の違いは問題じゃなかった。いつも音楽が全てだった。ギルは、オレが初めて知り合った、肌の色を気にしない白人だった。ギルがカナダ人だったせいもあるかもしれない。ギルは、他の奴には絶対にできない見方ができる・・

「マイルス・デイビス自叙伝」(マイルス・デイビス著、クインシー・トゥループ著、中山康樹訳、宝島社文庫。2000年)より抜粋

1.1912年5月13日、トロント

 この日、ギル・エバンスは、トロントで生まれました。

 母親はマーガレット・ジュリア・マッコナキーというスコットランド系アイルランド人です。彼女は英国で育ちましたが、19世紀末の時代、生活は苦しく、不遇のアイルランド人女性によくあった事ですが、大英帝国内を転々としたそうです。最初は、南アフリカ、オーストラリア、そしてカナダに流れて来ました。冒険心溢れる常識破りの非常に魅力的な女性だったと言います。色々な事情があったのだと思いますが、彼女は生涯で5回結婚しました。4度目で結婚したのがグリーン医師で、この結婚で生まれたのがギルです。よって、出世時の名前は、ギルモア・イアン・アーネスト・グリーンでした。が、グリーン医師は、ギル出生直前に彼が勤める病院が火事になり不慮の死を遂げました。そこで、マーガレットはジョン・A・エバンスというカナダ人坑夫と再婚します。以後、ギルモア少年はエバンス姓を名乗るようになります。

 エバンス家は、決して暮らし向きが楽ではなく、坑夫の仕事がある所に移り住んで行きます。オンタリオからサスカチュワン、そしてブリティッシュ・コロンビア。更に、米国に移住し、ワシントン、アイダホ、モンタナ、オレゴン、最終的にはカリフォルニアに落ち着きます。

 このような経緯なので、ギル・エバンスについての明確な記録は、カリフォルニアはバークレー高校時代以降です。高校1年では全教科で非常に優秀な生徒でした。が、親友の父親がジャズ愛好家だった事がギルの運命の扉を開けます。地下室にドラムとピアノ、当時大変貴重だったレコード・プレイヤーまで設置していました。ギルは、この親友の父からピアノを教わり、1927年にはデューク・エリントン公演にも連れていかれます。15歳で、ジャズに目覚めたギルは、学校の成績は下がりましたが、瞬く間に才能が開花し、音楽の道を歩き始めます。

2.1948年9月4日、ニューヨーク

 この日、劇場街のブロードウェー1580番地にあったクラブ「ロイヤル・ルースト」に、結成されたばかりのマイルス・デイビス九重奏団が出演します。当時人気絶頂のカウント・ベーシー楽団の前座でした。店の前に「マイルス・デイビス・ノネット:編曲ジェリー・マリガン、ギル・エバンス、ジョン・ルイス」と看板を出しました。22歳のマイルス・デイビスが33歳のギル・エバンスと意気投合し、従来のジャズ・オーケストラやビッグバンドとは一線を画した全く新しいハーモニーと音色を生み世に問うたのです。後に、クール・ジャズと呼ばれるようになる、緻密にして静謐、時に熱い音楽です。

 背景には、マンハッタンの西55丁目14番地のギルのアパートがありました。其処は、さながらエバンス音楽塾。チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、ジェリー・マリガン、リー・コニッツ等々の最先端のアーティストが出入りするジャズの梁山泊でした。有名無名、人種、年齢も全く関係ありません。そして、ギルのアパートでの熱い議論が実践され、ジャズを変革して行くのです。

 この日の演奏を聴いた大手キャピタル・レコードのプロデューサー、ピート・ルゴロが翌1949年、スタジオで正式に録音します。但し、当時マイルスもギルも未だ知る人ぞ知る存在で、音楽も余りに先進的過ぎたせいか、実際にこの音楽が発売されたのは、マイルスとギルが有名になった後の1957年のことです。今では「クールの誕生:コンプリート盤」で最初期のライブ音源も合わせて聴けます。

3.1974年6月11日、ニューヨーク

 この日、ギル・エバンスは、自身のオーケストラを率いて、RCAスタジオに於いて、音盤「プレイズ・ミュージック・オブ・ジミ・ヘンドリックス」の録音に臨みます。収録曲は全てジミヘン作曲。ギルは、プロデュース、編曲と指揮、ピアノ、キーボードと八面六臂の大活躍です。既に還暦手前ながら若々しい事この上ありません。

 この音盤は、ギルの非常にオープン・マインドで音楽にも人にも接して偏見とは無縁な性格を物語っています。その包摂性は極めてカナダ的です。と、言うのも、この音盤が録音された1974年は、ジミヘンが27歳で夭折して未だ4年。ウッドストックの英雄でセンセーショナルに捉えられていましたが、ジミヘンの音楽の革新性については未だ正当に評価されていた訳ではありません。そんな時代に、ギルはジミヘンの音楽を真正面から捉えて、ロック的熱量を前衛ジャズ的語法に大胆に翻訳した音盤を創ったのです。ギルには時代の先が見えていたんですね。

 しかも、ギターは日本が生んだ伝説のギタリスト川崎燎27歳です。若きデビッド・サンボーンらジャズの聖地ニューヨークの猛者達に混じって、ブンブン弾き倒しています。今でも、ジャズの本場でアジア人が活躍するのは容易でありませんが、川崎燎の才能を発見し鍛え上げたギルの名伯楽ぶりは特筆に値します。

 ギル・エバンスは1988年3月、75歳で永眠します。カナダが生んだ極めてカナダ的な音楽家です。音盤に耳を傾けてみては如何ですか?

(了)

山野内勘二
2022年5月より第31代在カナダ日本国大使館特命全権大使
1984年外務省入省、総理大臣秘書官、在アメリカ合衆国日本国大使館公使、外務省経済局長、在ニューヨーク日本国総領事館総領事・大使などを歴任。1958年4月8日生まれ、長崎県出身