カルラ 1 ~投稿千景~

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エドサトウ

 「とんとんとんからりーーー」と歌いながら、軽くタンタンと木片で物をたたく音がする。秋の夜長に植物の油を小さな皿の上で灯した明かりを頼りに、年寄のサムは古びた仕事小屋の中で何かをしている。孫の弥平が「お爺さん、何をしているの」と言いながら、興味津々に薄暗い小屋の中を覗くと、サムが「ここへは来てはならん。これは魔法の薬じゃから、決してここの中に入ってはならん。さあ、早く向こうへ行け。」

 「とんとんとんからりーーー」とまた陽気に歌を歌いながら、タンタンと何かを台の上で叩いている。やがて、甘い香りが外にも漂う。

 この甘い香りは、遠い昔に先祖が西国から伝えた秘伝の薬らしい。今の時代でいうイランつまりペルシャ国からのもので、サムの一族が中国の西域から、伝えたとも言われている。

 奈良時代、都に大きな大仏が建立された。その祝賀式に東南アジアや中国などから多くの外国人のゲストがきたらしい。一説には、奈良時代に活躍した聖徳太子もイラン系の人物ではないかと言われたりする。彼のパトロンと言われた秦氏は養蚕などの技術を日本に伝えて、特に裏日本一帯に大きな勢力を持っていたから、経済的な力をもっていたのであろう。その秦氏の源流は中国の西方から来て中国に定着した一族ともいわれるが本当のことはよくわからないのであるが、奈良の遺跡から出てきた木簡(墨で木切れに書いた古代のメモ帳の様なもの)にもイラン系の人物らしい名前がいくつか見られる。

写真:エドサトウ
写真:エドサトウ

 有名な高松塚古墳の壁画の中に、当時身分の高い女性がイラン風の胡服なるものを着ているのが見られる。また、正倉院の宝物の中にガラス製の器が見られることは、海を経由して人々が日本に渡ってきたのはかなり古くからあったように思われる。日本のお米は中国大陸のお米とは異なる種類で、むしろ、南方のベトナムのお米と同種であることは、お米も海伝いに日本に入ってきたようである。