第103回 『ふっと死ぬ前に…』5

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グランマのひとりごと

~グランマのひとりごと~

日が照れば、動物にとって晴れ、
雨が降れば、植物にとって晴れ。

立場を変えれば、相手が見えて来る
見方を変えれば、世界が見えて来る…..かぁ? 正観

 移民生活が始まった。荷物も収まり、子供の学校も順調だ。登校開始から数日目、2人の娘がスクールバスから降りて来た。

 長女の後になんとごそっと数人の子どもが付いていた。友達を連れて来たのだ!

 入学僅か数日でこんなに友達が出来るのだ! 喜んでよいのか悪いのかねぇ。でも楽しそうに、我が家の広々とがらーんとした、何もない地下室で遊ぶ子供達、その姿は平和で幸せそのもの。雪が窓下まで積もっている。次女も皆と一緒に遊んでいる。

 その子供達の両親は日中働きに出ているから、子供達を家で待つ人は居ない。淋しいのだろうか?それからほぼ毎日、子供達は夕方まで我が家で遊んでいた。結構、それがグランマにも楽しい。子供を迎えに来る親達とも、近所だから互いに行き来が出来た。

 ある日、義弟夫婦がテレビを観ながら、こう言った。「あの政党のラベック(⋆編集部注 René Lévesque。第23代ケベック州首相)が勝ったら、皆でバンクーバーへ越さないといけないなぁ」

「ケベック独立を叫んでいるからね。」

 そして、ラベックは勝った。「静かな革命」はもう始まっていた。

 義弟はBC州のウォーカース コンペンセンションボードに就職決定、義妹も銀行就職決定。2月末にはもう2人はバンクーバーへ越して行った。私達は義弟の小さく可愛らしい家をそのまま買い取り、住み続けた。

 その頃から夫の職探しが始まった。義弟は仏語が分からない人の就職難についてさんざん話してくれたが、私達には理解できていなかった。

 土木建築家の夫は自信があったのだろう。しかし、現実に就職は難しかった。グランマは移民前、もしモントリオールへ行ったら、英語と仏語を勉強しようと決めていた。

 しかし、今、そこで夫が就職難なら、自分も働かねばと予定変更。日々、職安へ通った。

 あれだけ得意がっていた、IATAのライセンスも仏語が分からねば有効ではなかった。日本語も広東語も助けにはならなかった。

 結局、職安が推薦する仏語学校へ入学。学費は無料、週75ドルの生活補助金配布。週1回のグロサリーが50ドル前後の時代だ。

 夫は転々と職探し、しかし、結局、なんと友人経営のレストランを手伝い始めた。非常に料理の好きな人だから黙ってレストラン内の仕事、料理から会計、仕入れ迄よく頑張っていた。

 ある時、彼がふっとこう言った。「テーブルの上にね、『No French no TIPS』って紙が置いてあったのだよ」と半分笑いながら言った。しかし、その顔は淋しげだった。

 世間ではモントリオールに本店がある銀行、その他大手会社は次々とトロントへ本社移転。街は公然と仏語が公用語となり、道路標識も仏語、中華街の看板まで仏語だ。

 運転免許の取り直しに習いに行くと、全てフランス語。

 教習指導員が「マダム トヨタ」というので、何だろうと思ったら、私の事だった。次の日は「マダム ホンダ」ある時は「マダム鈴木」と私の名まえが毎日違う。

 そして、運転して回る市内は全て仏系人歴史の授業みたいだ。

 フランス文化の香り高い異国的な雰囲気、町中にある数々の教会、石畳のヨーロッパ調の町並、オールド モントリオールに来るとは此処で仏系の政治家の誰それが絞殺された。

 セントローレンス川の橋を渡ると、この大きな橋は仏系カナダ人が強制労働で造ったのだ。仏系カナダ人がどのように差別をされて来たかを、運転を習いに来た日本人カナダ移民女性に一生懸命教えていた。

 こういうカナダ人たちがケベック州の独立を必死で願っているのだろう。

 マギール大学教授が多数トロント大学に移ったと言う。カナダの大学の良悪しは大学の教授の質によって決められるそうだ。近所の女性ボーリンク クラブは70名ほど会員だったが、ここも気が付くとなんと30名以下、英語を話す会員の殆ど皆トロントへ越して行った。

 しかし、私は「北米のパリ」このモントリオールが堪らなく好きだった。

 

グランマ澄子

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 好評の連載コラム『老婆のひとりごと』。コラム内容と「老婆」という言葉のイメージが違いすぎる、という声をいただいています。オンライン版バンクーバー新報で連載再開にあたり、「老婆」から「グランマのひとりごと」にタイトルを変更しました。これまでどおり、好奇心いっぱいの許澄子さんが日々の暮らしや不思議な体験を綴ります。

 今後ともコラム「グランマのひとりごと」をよろしくお願いします。