2021年4月15日

平野香利(ひらのかおり)

人は自分の中に、「晴れの日の生き方」と「雨の日の生き方」を持っているようです。そしてその生き方を支える、自身にとっての最高の価値(生きがい)があります。その視点で人生を俯瞰してみると、どんなことも納得と感謝につながっていく……。そんな思いから、人それぞれの「生きがいのかたち」を探究しています。

経歴:東京の教育系出版社勤務後、1999年家族でカナダに移住。日本人補習授業校高等部小論文・国語講師を経験後、2002年から18年間バンクーバー新報でレポーターを務めた。現在ライター業、編集・出版業のほか、「生きがい」にフォーカスしたワークショップやセッション活動を展開中。
https://www.ikigaimap.com

第十四話 宮地昭彦さん 日系人への感謝と木との触れ合い

朝起きたらまず外へ。桜並木を抜けて川辺へ向かい、ぐるりと10キロ歩いた後は、風呂で全身を温めて朝食をとる。こうして一日を体のケアから始め、その日の活動に出向く宮地昭彦さん(バンクーバー在住77歳)。

第十三話 二宮冨美子さん 高校生との出会いと対話

二宮冨美子さん(東京在住・66歳)は、いつも柔らかく穏やかな物腰ながら、きりりとした精神を感じさせる女性だ。冨美子さんの生活の中心には小論文の添削指導がある。通信教育の会社のスタッフとして、高校生が解答した

第十二話 橋本潤一さん 描けた喜び、シェアする喜び

2020年2月6日 第6号  知人宅に飾られていた船の水彩画が爽やかで、見ていて明るい気持ちになったのが、描き手・橋本潤一さん(大阪出身・バンクーバー在住80歳)への取材動機だ。 年始にアップした自画像  「それは海王丸の絵ですね。スティーブストンに寄港した時に描いたもの。最近描いたのがこれで」と携帯で見せてくれたのは二つの自画像。緻密に描かれたものはピンとこなかったが、特徴をデフォルメしたイラストのほうはユーモラスでほっこりとした味わいがあった。フェイスブックに二つをアップした際も、私と同じ反応があったそうだ。そんなリアクションが橋本さんの絵を描く楽しみの一つになっている。 ロブソンスクエア、栗本日本庭園ー建築家の経験  中学時代に漫画を描いては友人と戯れていた橋本さん。社会に出てからも、送別カードに思い出の一シーンを風刺漫画的に描いてはプレゼントしてきた。一方、仕事で描いてきたのは、もっぱら建築設計の作図や透視画。建築家としての50年近い年月の多くをカナダで過ごしたが、手がけた代表的な事業はロブソンスクエアの設計である。カナダを代表する建築家アーサー・エリクソンに引き抜かれ、1973年に美術館、裁判所を含むバンクーバー都心の一大プロジェクトに参加。その中央部の設計に、屋上庭園や水の流れを取り込んだのは画期的なことだった。そしてエリクソンからは仕事のやり方だけでなく、「人格作り」も学ぶことができたという。橋本さんの手による公共建築は、アルバータ州立大学付属の栗本日本庭園と小沢亭茶室という伝統文化を重んじるものから、環境負荷ゼロの現代的施設までと幅広い。 建築設計の道から潔く転身  設計のコンセプト作りには建物の役割、利用者の使いやすさ、立地環境、風土、文化等、多くの点を考え合わせた。社会を説得するためには科学と創造性両面からのアプローチが必要だった。そして理想のゴールに向かい、飛び石のないステップを進める力になったのは「惑わぬ姿勢」だ。そうして予算や建築技術など、現実の困難にも自らの誇りをかけて挑んだ建築の仕事を、73歳できっぱりと辞めた。同じ環境に身を置けば、否が応でもかつての競争相手の動向が目に入る。そこで「エドモントンの自宅を売り、事務所のスタンプも返上してバンクーバーにリタイアしたんです」。こうして設計とは離れたが、仕事への姿勢はそのまま絵に向かった。 研究、実践、そして手応え  対象決め、構図、デッサン、色使い、筆選び等々、それらをいかに構築していくか。絵を描く一回一回が挑戦である。「特に大きな作品は描き出す前の準備が大変。水彩なので色の準備から何から計画しておかないと」。色作りは、エドモントンのコミュニティセンターで美術講師から学んだ「赤、青、黄の三色だけから色を作る技法」をもとにしているという。  普段は万年筆とコンパクトな水彩の道具を持ち歩く。そして「ドキッとするもの」に出会うとすぐスケッチブックにデッサンし、その場で色付け。一見孤独な趣味だが、橋本さんはバンクーバーでのデッサン愛好家の集まり「アーバン・スケッチャーズ」の会に時々参加している。20代からの十数名が喫茶店や浜辺に集まり、思い思いにデッサンする活動だ。「シアトルから始まった活動が今は世界中に広がっています。好きなものを描いて互いに見せ合いながら話すのが楽しいですね。それと作品をグループのウェブサイトに上げてコメントし合ったりね」  橋本さんにはフェデレーション・オブ・カナディアン・アーティスト(カナダ画家連盟)のメンバーとしての活動もある。昨年は連盟の主催するワークショップでバンクーバー島バンフィールドでの合宿に参加した。海岸にイーゼルを据えてがっちり絵に取り組んでいると先輩格の画家が見て回っては助言をくれる。「その場のリアルな情景に浸りながらのアドバイスは一番学びになります」。またこの時、海岸で見た約1億年前の地層が盛り上がった景観が、30年以上毎夏出かけたロッキー山脈での同様の地層を思い起こさせ、自然への探究心も湧き上がった。  カナダ画家連盟ではコンテストに出品し、評価を受ける面白さもある。橋本さんの作品が入賞し、グランビルアイランドのギャラリーに展示された時、友人の来場時にはすでに作品が売れて存在しなかったことがある。展示期間中だけは作品を戻してもらうようギャラリーの主に願い出たが、「母の誕生日に贈りたい」と買っていった人物の居どころはわからずじまい。以来「知らない人に買われて行方がわからないよりも」と友人たちにプレゼントするようになった。記者が見た海王丸の絵もその一つだ。「どれも自己満足ですけどね。自分には大きな社会貢献はできませんが、小さな事が今後もできれば」。芸術を通じて己の道を進み、芸術を介して人と触れ合う。向上心と好奇心を動力に橋本さんの静かで熱い挑戦が続いている。 (取材 平野香利) 平野香利(ひらのかおり) 人は自分の中に、「晴れの日の生き方」と「雨の日の生き方」を持っているようです。そしてその生き方を支える、自身にとっての最高の価値(生きがい)があります。その視点で人生を俯瞰してみると、どんなことも納得と感謝につながっていく……。そんな思いから、人それぞれの「生きがいのかたち」を探究しています。 経歴:東京の教育系出版社勤務後、1999年家族でカナダに移住。日本人補習授業校高等部小論文・国語講師を経験後、2002年から18年間バンクーバー新報でレポーターを務めた。現在ライター業、編集・出版業のほか、「生きがい」にフォーカスしたワークショップやセッション活動を展開中。https://www.ikigaimap.com

番外編  暮らしの中での生きがいの視点

生きがいのかたち」の発信には私の中で二つの願いがあります。一つは私たちが自分の生きがいを認識し、それを大事にして生活することで、幸せな時間が増えるように。もう一つは生きがいを認識することで、周りの人をより深く理解できればとの願いです。

第十一話 田中宏さん アコーディオンで思い出のパリを再現

パリのセーヌ川のほとりでアコーディオンを弾く。それは田中さんの50年来の夢だった。フランス暮らしを体験した青年時代 田中宏さん(京都出身・ブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市在住80歳)は元フレンチシェフである。パリへつながる職業人生は

第十話 片山安子さん(フィンランド・トゥルク在住) 北欧の地で和食を通じてコミュニケーションを

「トゥルクはフィンランドの京都なんですよ」。1800年代初めまでフィンランドの首都だった町、トゥルクをこう語る片山安子さん(71歳)が、この町の中心街で日本食レストラン

第九話 市川慶輔さん 学びと経験をフルに生かして

 会社という組織からリリースされた瞬間から社会とのつながりが希薄になりがちだが、市川慶輔さん(福岡県在住・60歳)の場合はどうか。定年を迎えた2019年9月最後の日。市川さんの心境は「やっとやりたかったことが

第八話 渡辺ゆう子さん 人と人とのつながりの中で

今回は渡辺ゆう子さん(仮名・ブリティッシュ・コロンビア州在住)自身の手記の形でお届けする。『生きがい』って何かしら?もともとのんびりした性格ということもあり、今まで改まって深く考えることもなく

第七話 阿形操さん 地域医療への危機感を行動に転換して

2019年8月1日 第31号  約10年前のことだ。医師がどんどん大きな町に流れ、地方に残った医師は多忙のために疲弊し、ますます医師不足が進行していた。「何か自分でできることはないか」。阿形操さん(現在71歳)は思いを巡らせていた。 医師の地方離れに  阿形さんは静岡県御前崎市で生まれ育ち、御前崎市役所に勤め、保健・福祉・医療の分野を担当していた。  地方の医療に大きな打撃を与えたのは、2004年の医師の研修制度の改変だった。それまで新人医師は、自分が医学を学んだ大学の病院医局に属して研修を行うのが通例で、地方にも新人医師の供給が続いていた。しかし改変後はその枠が取り払われ、研修中の待遇や研修内容の魅力的な都会の病院への新人医師の集中が起こった。それからというもの市立御前崎総合病院では日に日に医師の数が減っていった。残った医師たちが必死で仕事をしても、24時間365日の診療体制は維持できず、市民から不満の声が上がった。やりがいが感じられない医師たちの地方離れに歯止めが掛からない。病院で事務を担当し、状況を目の当たりにしていた阿形さんに危機感が募っていた。 定年後1年で寂しさ  阿形さんが市役所を2008年に60歳で定年退職した直後は、夫婦で中央ヨーロッパへ旅行に出かけたり、野菜を育てたり、陶芸を習ったりとリタイヤ生活をエンジョイした。だが、かつての職場の人との付き合いはなくなり、習い事も地域との交流にはつながらず、次第に社会とのつながりがないことに寂しさを感じ始める。退職翌年、その寂しさを埋めるように民生委員の任命を受けた。役目は高齢者家庭の訪問や通学する子どもたちの見守りなどだ。  それから4年後、今度は市から「地域医療を助ける市民団体を作ってほしい」と頼まれた。その時、阿形さんは思った。「自分は人をまとめるようなタイプじゃない。だがこれを断ったら後々後悔する」。そして抱いていた地方の医療体制への危機感にまっすぐ向き合うと覚悟を決めた。 「御前崎地域医療を育む会」創設  発起人8人で「御前崎市地域医療を育む会」を立ち上げ、地域の医師たちが長く勤めてもらえる環境作りを目指した。そのために行ったのが市民に「かかりつけ医」を持ってもらい、「コンビニ受診」をやめることを主眼とした講習会だ。「コンビニ受診」とは、緊急性なく自己都合で休日や深夜に病院を訪れて受診することを指している。活動7年目を迎えた現在「育む会」の会員は300人に迫り、年に10回以上のイベントを行うまでになった。 自分の幅が広がって  「リーダーのタイプではない」と自認していた阿形さんだったが、「育む会」の代表として、また民生委員としても挨拶をする機会が増えた。次第にそれは苦にはならなくなったという。「これもひとつの慣れかなと思うたね。『最初の挨拶をせにゃいかん』となってやっていくうち、得意でなかったことも慣れてきて」。  また大勢の人との交わりが活動の大きな魅力になっている。「生活していてすごく楽しい。知っている人がいて話ができて。仕事をやっている時は、仕事に没頭していて、家と仕事との往復だけで社会が狭かった。社交できるところがなかったね」。 手応えを感じた出来事  「大橋先生のおかげで病院が支えられていると思っています、先生の使命感はとても素晴らしいです。体に気を付けて頑張ってください」など、「育む会」では患者から集めた感謝の言葉を医療者へ手渡している。  2018年の「育む会」の総会でのことだ。市立病院の病院長が挨拶で「3年前の集まりで『育む会』から受け取った感謝のメッセージが、当時の大変な状況から立ち上がる力になった」と涙ぐみながら語った。ギリギリのところに立たされている人にとって感謝の言葉は伝える者が想像する以上の力を生む。そしてその病院長の言葉が「(会の活動を)やっていてよかった」と阿形さんを励ました。そんな好循環が生まれている。 自分にとって大事なこと  小さい頃は内向的だった阿形さん。妹が二人、親戚も女性が多い中でかわいがられ、同級生や先生にも世話されながら大きくなった。その阿形さんが現在は「育む会」のほかにも社会福祉協議会や特養法人の評議員、保育園や寺院の理事など、いくつもの役割を担っている。阿形さんをよく知る人物は、地域の多くの人々が寄せる阿形さんへの厚い信頼を感じているという。  阿形さんは思う。「今思うとこういう仕事やっていて恩返し言うのになるんかな。人のことをお世話できることが自分にとって大事なこと。家族もひとつだけど、社会のためにもひとつと思って」。筆者からの「人生でやりきりたいことは?」との問いには「将来『育む会』に若い人が入って受け継いでくれたら」と答えた。  御前崎市にある静岡県最南端の岬からは地球が丸く見える。その地に生きる阿形さんの周りにも、円く温かい輪が着実に広がっている。  (取材 平野香利) 平野香利(ひらのかおり) 人は自分の中に、「晴れの日の生き方」と「雨の日の生き方」を持っているようです。そしてその生き方を支える、自身にとっての最高の価値(生きがい)があります。その視点で人生を俯瞰してみると、どんなことも納得と感謝につながっていく……。そんな思いから、人それぞれの「生きがいのかたち」を探究しています。 経歴:東京の教育系出版社勤務後、1999年家族でカナダに移住。日本人補習授業校高等部小論文・国語講師を経験後、2002年から18年間バンクーバー新報でレポーターを務めた。現在ライター業、編集・出版業のほか、「生きがい」にフォーカスしたワークショップやセッション活動を展開中。https://www.ikigaimap.com

第六 話 高橋たまきさん 母との約束

キャンバス一面に描かれたパッションピンクの芙蓉の花。鮮やかな花びらの上の澄み切った水滴は、今にもこぼれ落ちそうだ。「音楽で言うところの『セオリー』がわかっていれば、水を描き出すのはそう難しくないんですよ」と高橋たまきさん(70代