亡き夫とともに『K.高橋モーターズ』を経営していた高橋陽子さん

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高橋陽子さん

46年のカナダ暮らしを語る ~私のカナダ物語~

2014年1月24日

現在オリンピック・ビレッジとして新築コンドミニアムが並ぶキャンビー・ブリッジの東側は、かつては工場・倉庫などが並ぶ工業地帯であった。そのウエスト1番街に、今は亡き夫とともに『K. 高橋モーターズ』を経営し、多くの日本人やカナダ人の車の整備とサービスに努めた高橋陽子さん。 家族とともにバンクーバーに移住したのは1969年。46年のカナダ暮らしを振り返ってもらった。

1969年に移住

 移住のきっかけは今から約半世紀前、メカニックのライセンスを持つ夫の一雄さんが、車の雑誌を見たことから始まる。カナダで初めて日系商社がトヨタの車を販売したという記事とともに、日本人のメカニックを募集しているという広告だった。

 「採用された人のほとんどがほかの州へ行きましたが、所帯持ちのうちには、子どもには気候のいいバンクーバーをと勧められました」。

 横浜の移住センターで寮に入って英語や生活の講習を受けた一雄さんが、1968年の夏に渡加。陽子さんは翌年、4歳の長女を連れてカナダに渡った。

カルチャーショック

 引越し先のポートムーディーは、雪に覆われていた。「当時の気候は今に比べると、とても寒かったように思います」。

 バスはクートニー・ループまでしか運行しておらず、スーパーマーケットも夕方6時まで。今のように中国系のお店も少なく、パウエル街に当時あった美浜屋、森商店、清水商店には車がないと行くことができなかった。カルチャーショックを受けながらも夜の英語クラスに通い、車の免許を取り、少しずつ生活に慣れていった。

 日本語放送もなく、日本から送られた古い新聞や本をまわし読みするなど、まさに活字に飢えた時代。そんな中で月に1度、ヘイスティングスとナナイモ・ストリートにある劇場で日本映画が上映された。「子どもを連れて行かれないので、主人と交代で観に行きました。チャンバラとか寅さんでしたが、それに行くのがとても楽しみでした」。

30年以上にわたる メカニック業

 一雄さんは『K.高橋モーターズ』を設立し、シェル石油の依頼でガソリンスタンドの運営をしながら車の修理もこなし、クリスマスもお正月もなく忙しく働く生活が続いた。24時間営業のスタンドでは、強盗の危険とも背中合わせだった。

 部品を取りに行ったり、お客さまの送迎をしたり、陽子さんも一緒に働いた。「当時はガソリンの在庫を調べるのにも、長いものさし状のもので深さを測り、表を見て計算しましたので、大変でしたよ」。

 最終的には、キャンビー・ブリッジの東側のウエスト1番街に自動車修理だけの店舗を開き、個人客ほか、日本からの旅行者がピークを迎えた時期にはツアーバスのメンテナンスも請け負った。

 「忙しかったけれど、バンクーバー・エキスポ(86年)やカルガリー五輪(88年)ではVIPパスをいただいたり、楽しいこともたくさんありました」。

現在もあるデイビーとバラード通りの角のシェル石油。『K. 高橋モーターズ』を設立し、ここでガソリンスタンドの営業をしながら車の修理をこなした

ひとり暮らしを有効に

 5年前の4月、リタイアした翌月に一雄さんが旅行中のバンフで脳梗塞で倒れ、カルガリーの病院で亡くなった。73歳だった。 「仕事と、休みの日はゴルフという生活でしたから、これから旅行でもと、話していた矢先でした」。

 現在、陽子さんはエクササイズ、民謡おどり、茶道の稽古ほか、週に数回1時間歩くなど、アクティビティーに満ちた毎日を過ごしている。

 ボランティア活動は、日本語学校やコミュニティ・センターでの茶道のデモンストレーション、日系ホームでのシニアのアクティビティーのお手伝いなど。 「日系ホームでのボランティアは、無理せず自然体で参加できるところがいいと思います。お休みも取りやすいので、旅行にも行かれます。おしゃべりしながらのあやとりなど、自分にとっても『脳トレ』になっているのではないでしょうか」。

生前の高橋一雄さん

何があっても平気

 浅草生まれの陽子さんは東京大空襲のとき、ガラスの一升瓶に水を入れ、兄の手を引く母におぶさって逃げたのを覚えている。 「よく川を火が走る、と言いましたが、川が火の海でも、周りの熱さが苦しくて、川に飛び込む人がたくさんいました。東京は本当に焼け野原で、今のように救援物質が届くわけではありませんから、ちょろちょろ漏れている水を飲んだりしました」。

 そのときののどの渇き、ひもじさを決して忘れることのない陽子さんは毎年、終戦記念日にはごちそうは避け、小麦粉を水でこねてすいとんを作って食べる。もったいないから、食べものは粗末にしない。物を大切に取っておくので、なかなか片付けができないのだと笑う。 「東京大空襲では、一晩に10万人以上が亡くなりました。それでも生き残れた私たちがいます。あの頃は本当に大変だったから、私たち、何があっても平気なのでしょうね」。

「バンクーバーの暮らしもこの46年間にだいぶ変わりましたが、大勢の方に助けていただいて、今に至っております。いろいろなことに感謝して、毎日を過ごしたいと思っています」と話している。

高橋陽子(たかはし・ようこ)

昭和15(1940)年、東京生まれ。

1969年、28歳のとき家族でカナダに移住し、夫の一雄さんとともに『K.高橋モーターズ』を経営した。ふたりの娘は日本とアメリカ在住。孫が3人。  

リタイア前に営業していたウエスト1番街にあった『K. 高橋モーターズ』

高橋一雄・陽子夫妻。このバンフ旅行が一雄さんにとって最後となった

 (取材 ルイーズ阿久沢)