2020年にスティーブストン日本語学校創立60周年を迎えるにあたって

717
©スティーブストン日本語学校
©スティーブストン日本語学校

 2020年はCOVID19 の影響で、スティーブストン日本語学校の理事会員と教師たちは、今までにない試練に向き合いながらの運営や授業 をすることになりました。教室での授業という当たり前のことが当たり前にできなくなった今こそ、今学校運営に携わっている者が120年前カナダ社会での人種差別や厳しい迫害に立ち向かった 先人たちの足跡を辿り、子供達の将来の為に着々とこの地に日系社会を築いてこられた方々の勇気と信念に励まされ、 更にこの史実に向き合うことにより、先人達から学び、未来に繋げて行くための糧となるように願っています。

 スティーブストン日本語学校は今年2020年、創立60周年を迎えることになります。本校は、日本(主に和歌山県からの漁業従事者)からの移民が始まったカナダ西海岸、スティーブストン(現在はリッチモンド市の一部)に位置しています。 

 本校の前身である旧スティーブストン日本語学校は、更にさかのぼり1911年(B.C.州では3番目)に創立されました。その日本語学校は当時の社会情勢に合わせ、形態を変えながらも、第二次世界大戦が勃発し、西海岸沿いに住む日系人が、内陸部の収容所に移動になった1941年まで30年間続きました。

 1800年−1900年初頭にかけて、日本人がカナダ西海岸に住み着くようになり、漁をしたり、船を造ったり、缶詰工場で働くようになりました。やがて家族を日本から呼び寄せ、日系人の人口が増えていきます。20世紀初頭には、ヨーロッパ人(白人)社会の間では、彼らの仕事を奪うのではと、厳しい差別、迫害が起こるようになります。又、日本人は財産税(プロパティータックス)を払わない人が多かったために子女を公立学校に通わせることができなかったのです。そこで日系人の子供達のために、漁業団体が No. 1 ロードの東側とチャタム通りの北側に全日制の日本語学校を創立しました。現在、その跡地には「メイプル・レジデンス」と呼ばれるシニアホームが建っています。

 初期の頃は、日本から教師を呼び寄せ、日本語のみでの授業でしたが、日系人への迫害がますます悪化していき、子供たちは白人社会に同化しなければとの父兄の希望もあり、英語での授業が採り入れられ、やがて英語での授業の時間が多くなっていくことになります。後にこの学校は「ロード・ビング校」と改名され、公立学校として寄付されて、地元の子供たちを受け入れることになりました。因みに、1941年の在籍生徒数は550名でしたが、日系人強制移動のために一変に137名に減少してしまったそうです。それ程日系人の子弟が多かったにも関わらず、特に低学年の生徒は校庭での日本語が禁止され、日本語の授業は、通常授業の後の放課後に行われるようになりました。

 戦争が終わって4年後の1949年、日系人にも漁業ライセンスの取得が許されるようになり、移動先からスティーブストンに戻る者が出始めました。スティーブストンにも再び日系人が戻って住み着くようになり、それにつれ小規模ながら日本語教育が始められるようになりました。1955年頃、スティーブストン・コミュニティ・センター建築の話が持ち上がり、日系コミュニティーは、2つの団体から合計5万ドルをダウンペイメントとして差し出しました。当時の5万ドルといえばかなりまとまった額になります。

 1960年に完成したスティーブストン・コミュニティ・センター(SCC)での日本語のクラスが決まり、正式に「スティーブストン⽇本語学校」として学校が始まり、今年で60年目を迎えることができました。

 開校当初から、本校は当時としては珍しく、日系子女だけでなく、どんなバックグラウンドの子供も受け入れるとうスタンスを採る日本語学校でした。又、カナダ連邦政府が「多様性文化主義」の国策を打ち出し、1977年に多様性文化省を新たに設け、エスニック・グループの言語を尊重し、援助金を出して保護する政策を採るようになり、戦前の日本人への迫害が徐々に消えていくことになります。

 1971年には、12年間通った生徒の卒業式を初めて行えることになり、1975年には、近くで活動していた「リッチモンド日本語学校」と合併してスティーブストンで唯一の日本語学校になります。又、同年には、B.C. 州より非営利事業団体として認可を受け、「スティーブストン日本語学校ソサエティー」と名乗るようになったのです。

 1992年9月に、SCC から現在の所在地であるスティーブストン日加文化センター(SCC の敷地内にあり、スティーブストン武道館の後ろに位置している)に引っ越しました。 前には小さな日本庭園があり、「日本よりも日本的」と表現できる程立地条件に恵まれていて、 日系コミュニティーの活動が盛んな場所で、地元の子供達が日本語を学習する場所として、これ以上の環境は他にはないでしょう。

スティーブストン日本語学校が活動している「スティーブストン日加文化センター」正式名 Steveston Japanese Canadian Cultural Centre (SJCCC) Photo ©スティーブストン日本語学校

 非営利団体である本校は、ファンドレージングの活動やコミュティーへの貢献を活発にやってきました。例えば、毎年7月1日カナダデーに、スティーブストンで開催される(今年は中止)「サーモンフェスティバル」には、日本文化紹介をテーマとした数々のブースを担当しています。一番人気なのが、希望者に着物の着付けをし、フォトブースでその姿を撮影して(富士山と桜の花が背景に入る)メールで送ります。男女共子供から大人の着物を用意していて、教師や保護者のボランティアが汗だくで着付けをします。

着付けのデモンストレーション Photo ©スティーブストン日本語学校
着付けのデモンストレーション Photo ©スティーブストン日本語学校

 この活動の為に教師達は「着付け」の特訓を受けました。他には、折り紙や習字などのブースも設けます。又、4月最初の日曜日、ギャリーポイントパークにて開催されるスティーブストン桜祭り(今年は中止)でも着付けをします。戸外の大型テント内での活動なのでフォトブースは使いませんが、着付けをしてもらった人々が、桜の咲く公園を歩いて自分たちで写真を撮ります。

ギャリーポイントパークでのスティーブストン桜祭りで着物を着て記念撮影 Photo ©スティーブストン日本語学校
ギャリーポイントパークでのスティーブストン桜祭りで着物を着て記念撮影 Photo ©スティーブストン日本語学校

 他にも、2017年に開催された「スティーブストン日加文化センター建設25周年記念イベント」でも本校が中心になって多くのブースを設け、イベントを盛り上げました。 こういった活動は、コミュニティーへの積極的な貢献であり、一切料金は受け取っていません。又同年には、スティーブストン・ライブラリーに子供向けの日本語の図書100冊を寄付しました。全て新書で本校が日本から購入したものです。こういった活動が認められて、2018年にはC&F Financial Group Foundation から、クラスで使うためのiPad 11台を購入する費用をファンドとして贈与されました。又、同団体は、卒業生の為のスカラーシップのスポンサーにもなって下さいました。

C&F Financial Group Foundation から贈られたiPad 11台で授業 Photo ©スティーブストン日本語学校
C&F Financial Group Foundation から贈られたiPad 11台で授業 Photo ©スティーブストン日本語学校

 この歴史の流れを見ていくと、本校の歴史は、まさにカナダでの日系人の歩みであり、又、スティーブストンで日系コミュニティーに支えられなが歩んできた歴史であり、学校の歴史だけを切り離して存在しえません。カナダ日系人の歴史が始まったスティーブストンにある本校は、日本語学校としては非常に恵まれた環境に位置し、以前は日系人が多く住んでいたモンクトン通りにあります。

 本校は、「スティーブストン日本語学校ソサエティー定款と細則」(“Societies Act”& Bylaws)、そして、数年前に理事会が打ち出した「日本語学校の使命」(Mission Statement)という方針に従って運営されています。非営利団体であり、コミュニティーの学校である本校が、理事会長や会員が変わり、校長が変わっていっても本校の運営方針が変わらないのは、これらを軸にして学校運営に当たっているからです。

 60年目という節目を迎えた年に、「スティーブストンは日系カナダ人のふる里(原点)」になると信じて、未来を担う子供達のために「日系コミュニティー」という種を蒔き、根を張って下さった先人達の先見の明に改めてスポットをあて、特別な記念イベントができなくても、60周年を無事に迎えることができたことに感謝の気持ちを伝えたいと思います。

 入学並びに編入をご希望の方は、本校のウエブサイトwww.sjls.ca をご覧になって下さい。

住所:4111 Moncton Street, Richmond, BC (SCC と同じ住所)
電話:604-274-4374
参考資料:「しおかぜ」1985年発行
              「しおかぜ二」2010年発行
               どちらもスティーブストン日本語学校より発行された記念誌です。 

(スティーブストン日本語学校)