新渡戸庭園ゆかりの新渡戸稲造博士について詳しく知りたい~桜楓会が教養講座を開催~

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桜楓会が教養講座を開催。Photo courtesy of バンクーバー桜楓会
桜楓会が教養講座を開催。Photo courtesy of バンクーバー桜楓会

 バンクーバー桜楓会が9月15日、日系文化センター・博物館で「新渡戸稲造博士 その波乱万丈の人生とカナダとの関わり」のタイトルで教養講座を開催した。

 本紙の連載コラムでも新渡戸稲造について紹介している、矢野修三さんが講師を務めた。講座には22人が参加した。

 新渡戸稲造(以下、稲造)は以前、5000円札の肖像に使われていたほか、『武士道』を英語で書き、それがベストセラーとなったことなどで知られる。また、ブリティッシュコロンビア大学構内にある新渡戸紀念庭園の名称として使われている。

 稲造の波乱万丈の人生について矢野さんが詳しく紹介した。

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 稲造は1862年に現在の岩手県盛岡市で、南部(盛岡)藩の勘定奉行の三男として生まれた。1862年といえば明治維新の6年前になる。

 東京で英語を学んだあと、札幌農学校の第2期生として農学を収めて、1882年には明治政府の農商務省御用掛となる。札幌農学校は現北海道大学で、「少年よ大志を抱け」のクラーク博士で有名だが、稲造は博士からは指導は受けていない。

 農学校を卒業してからアメリカに留学して、ジョンズ・ホプキンス大学で学ぶ。さらに台湾総督府民生部殖産局長や京都帝国大学教授、第一高等学校長、東京女子大学初代学長、国際連盟事務次長、貴族院議長などを歴任して、国際人としても活躍する。

 しかし1931年に満州事変が勃発すると、国際派であったために日本でもアメリカでも反感を買う。1929年には太平洋調査会理事長に就任していた稲造は、1933年アルバータ州バンフで開催された第5回太平洋会議に出席して、帰国途中のブリティッシュ・コロンビア(BC)州ビクトリア市で71年の人生の幕を閉じた。

 稲造が客死したのはビクトリアだったのに、新渡戸紀念庭園があるのはBC州バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学(UBC)というのはなぜか?

 理由の一つとして、ビクトリアではバンクーバー以上に反日感情が強かったことを矢野修三さんは指摘する。ビクトリアの病院ではほとんど稲造の治療は行われず、夫人と看護師一人が看病したという。「そういった経緯もあり、葬儀もビクトリアではなくわざわざバンクーバーで行っています」

 また、バンクーバーの日系移民の人々や総領事館、ガーデナーらが協力して、稲造の功績を記念する庭園を造ろうとした。当初はスタンレーパークにという案もあったそうだが、当時は人種差別や日系人差別が激しかった。結局、UBCの大学構内にこれらの人らが協力して日本庭園を造ってUBCに寄贈した。1935年のことだった。

 続いて1944年にはUBCの総長にノーマン・マッケンジーが就任。マッケンジーは1925年からカナダ代表として国際連盟で新渡戸稲造と一緒に仕事をしていた人物だった。

 「太平洋問題調査会でカナダ代表として、稲造も出席したバンフの会議に参加しています。二人は長い間、友情で結ばれていたとみられています。その縁にまちがいないでしょう」と、矢野さんは語った。

桜楓会教養講座で会長の久保克己さんと講師の矢野修三さん。©the Vancouver Shinpo
桜楓会教養講座で会長の久保克己さんと講師の矢野修三さん。©the Vancouver Shinpo

 さらに唐人お吉が身を投げた場所に稲造が慰霊に地蔵の建立を頼んでいること、朝日新聞が行った「野球害毒論」なるキャンペーンで稲造がトップバッターとして登場していること、当時、日本の植民地だった台湾で古い製糖法の改善に関わり、その後台湾の製糖産業が大発展を遂げたことで、稲造は「製糖の父」として語り継がれてきているなど、さまざまなエピソードや功績についても紹介した。

 出席した人からは「貴重な話、知らなかった話も聞くことができました」と満足の声があがった。

 新型コロナウイルス感染拡大により桜楓会は会場での開催ができずにいて、今回は久しぶりの講演会再開となった。参加者の満足気な様子に会長の久保克己さんは「興味深い話でした。再開1回目は矢野さんに話をお願いしたいと思っていました。さすがです」と笑顔をみせた。

バンクーバー桜楓会

バンクーバーとその近郊に住む日本人退職者を中心とする任意団体で、 色々なイベントを通じて共にカナダ生活を楽しみ、親睦を深め情報交換を 行なうことを目的としている。

新年会・旅行・ゴルフ大会・健康や教養などの講座・親睦食事会・歩こう会など、年間約十数回の活動を通じてカナダ生活を楽しんでいる。

https://ohfukai-vancouver.themedia.jp/

(取材 西川桂子)

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